株式会社山本製作所

菅野祐介さん

人にも環境にもやさしい
木質ペレットストーブを
より良くしたい、広めたい。
株式会社山本製作所(天童市)

創業90有余年、山本製作所は米どころ山形で農業関連機器メーカーとして成長してきました。そして近年では、『農業と環境保全は一体』との観点に立ち、地球環境にやさしい製品の開発にも力を注いでいます。エコな暖房機としていま注目の木質ペレットストーブの開発製造もその一つ。より安くより使いやすい製品を提供すべく、山本製作所では四季を通して開発・設計、改良に尽力しています。

菅野祐介さん

プロフィール
菅野 祐介 さん

 

昭和58年生まれ。
山形県山形市出身。
山形大学工学部機械システム工学科卒業。
2004年、株式会社山本製作所入社。生産本部技術部環境機器グループに配属。(2010年より環境事業部 バイオマス技術グループと名称変更)

入社の動機、きっかけは?

昔からものづくりが好きだったので自然な流れで工学部に入学し、最も守備範囲の広い機械システム工学を専攻しました。3年生の後半ぐらいから就職活動でいろんな会社の説明会に参加していて、この会社も訪問しました。最初は農機具メーカーというイメージが強かったんですが、木質ペレットストーブとか発泡スチロール減容機とか、環境に配慮した製品づくりに挑戦しているということを知り、とても興味と共感を覚えて入社を希望しました。

具体的な仕事内容を教えてください。

入社と同時に今の部署で木質ペレットストーブの開発設計を担当させてもらっているので、環境を意識した仕事がしたいという入社前からの希望がかなったといえますね。当初は先輩の指示で必要な部品を用意するといったアシスタント的な仕事が大半でしたが、最近は、課題や問題点を提示されてその改善方法に取り組む仕事が増えています。少しずつ責任のある仕事を任せてもらっています。営業からの要請がある場合、木質ペレットストーブの設置やメンテナンスのために現場に出向くこともあります。先日も北海道まで行ってきました。

職場の雰囲気はどうですか?

私が所属しているのは、生産本部技術部環境機器グループ(2010年より環境事業部バイオマス技術グループと名称変更)。ワンフロアでいろんな部門の社員が垣根なく仕事をしているので、他分野の様子もわかりますし、たくさん刺激を受けながら毎日を過ごしています。私も入社4年目、少しずつ後輩も入ってきているので、後輩指導とまではいきませんが、いっしょに学びながら何か伝えていけたらいいなと思っています。

燃料となる木質ペレットは、間伐材などの捨てられる木部や樹皮で作られる
燃料となる木質ペレットは、間伐材などの捨てられる木部や樹皮で作られる

この仕事のどこに魅力ややりがいを感じますか。

設置や修理、メンテナンスの現場でお客さまから直接「このストーブあったかいね」とか「かっこいいね」などと声を掛けてもらえた時は本当にうれしいですね。また、販売を担当している営業が非常に満足して自信を持ってセールスに出かけて行って「売れたよ」と帰って来た瞬間も幸せです。それから、製造現場の人から「今回のモデルは造りやすいね」と言われるとがんばってよかったという気持ちになりますね。
そして、木質ペレットストーブの魅力の一つとして「炎の見える、ホッとする暖かさ」とよく言われますが、私もあの炎のぬくもりが好きで、実験の時などは炎に癒されています。

逆に、いちばん大変だと思うことは何ですか?

製品を造る最初の段階では、お客さまや営業からの要望がいろいろあって、それを何とかかなえられるようにと考えて試験したり、構想したりしてものを造っていくわけなんですが、それがなかなかうまくいかなくて、どうしたらうまくいくか、まったく先が見えないときは、本当に大変だと感じます。また、これはちょっと余談ですが、夏場、ストーブを焚いての実験は、さすがに暑さを通り越してかなりきついです。

工業デザイナー・奥山清行氏デザインの木質ペレットストーブ『禅』。菅野さんも開発設計に関わった製品
工業デザイナー・奥山清行氏デザインの木質ペレットストーブ『禅』。菅野さんも開発設計に関わった製品
みんな汗だく、夏場もこうして木質ペレットを燃やしての実験は行われる
みんな汗だく、夏場もこうして木質ペレットを燃やしての実験は行われる

先が見えないときの突破口は?

先輩にアドバイスを求めることが多いですね。環境関連は会社では新しい分野なので詳しい人はそう多くありません。具体的な解決策というよりは、「こんな方法を試してみたら?」という提案をいただくのですが、それでもとても有り難いですね。答えそのものはもらえなくても、すごく心強いというか、何とかなりそうな気がしてくるから不思議です。

菅野さん

この仕事に適性を感じる点は?

コスト面や使い勝手の部分でまだまだ改善の余地が多い木質ペレットストーブ。お客さまや営業からもさまざまな要求が出され、開発設計はすんなりいくことがまずない仕事です。本当に試行錯誤の連続。相当の忍耐強さや辛抱強さが必要な仕事です。その点では、途中で投げ出さない、何度でもトライできる自信があります。それに、会社では新しい分野ということで比較的自由に、自分の考えでやらせてもらえるという点でも恵まれた環境だと思っています。

シーズンごとのモデルチェンジに向けてデータを取り、改善点をチェックする
シーズンごとのモデルチェンジに向けてデータを取り、改善点をチェックする

今後やってみたいこと。

木質ペレットストーブにはまだまだたくさんの課題があります。環境にいいことは分かっていても高価でなかなか一般家庭への普及は難しいということ。本格的な煙突の設置など、取り付けが結構大変だということ。取扱代理店からは、軽量化や小型化を求める声も多く聞かれます。こうした要求に少しずつでも近づけていければと考えています。また、当社の基幹分野は農業関連事業であるにも関わらず、私はサラリーマン家庭に育ったこともあり、周囲の人以上に農業のことを知らないというのが現状です。さすがにこれではまずいかなと、今後はもっと農業のことも勉強して農業機械等の開発にも携わってみたいと思っています。

このあたたかい炎が見える点も木質ペレットストーブの魅力の一つ
このあたたかい炎が見える点も木質ペレットストーブの魅力の一つ


「ひたむきに仕事に取り組むまじめな好青年。若手のリーダーとして期待している人材です」と総務担当者。その評価通りにとてもまじめで一生懸命な印象です。環境に対する意識が高く、なんとか木質ペレットストーブを広く普及させたいという強い思いが伝わってきました。持ち前の忍耐強さと周囲の協力を得やすい人柄でどんな課題にも立ち向かっていくに違いありません。

(2009/9/25取材)


株式会社 山本製作所

長年、農業・精米関連機器の専門メーカーとして歩んできた山本製作所だが、環境保全への取り組みが世界規模の重要なテーマとなっている今、これまで培ってきた技術を環境分野にも応用。廃棄物のリサイクル活用などを主体とする環境にやさしい製品の開発に取り組み、地球環境の保全に貢献している。

代表者:代表取締役 山本 丈実
創業:1918年
設立:1961年8月
従業員数:330名
事業内容:穀物乾燥機や精米機をはじめとする農業関連機器の開発製造・サービス、発泡スチロール減容機、
木質ペレットストーブなどの環境関連機器の開発製造
所在地:(東根事業所)山形県東根市大字東根甲5800-1
TEL:0237-43-3411
FAX:0237-43-8830
URL:http://www.yamamoto-ss.co.jp

建具の達人


石山孝次郎さん

建具の達人 石山孝次郎さん
(山形県卓越技能者表彰受賞/平成14年度)

昭和26年生まれ。中学卒業後に伊藤建具店で建具職人としての修業を積む。昭和48年に山形県立職業訓練校を卒業。翌昭和49年に独立し、「石山大原建具製作所」を設立。一級建具技能士、一級家具技能士などの資格を取得。現代の名工、内閣総理大臣賞、技能グランプリ全国大会最高賞など、受賞・表彰歴も多数。

5年間の修業と1年間のお礼奉公を経て、
昭和49年に建具職人として独立
見事なガラス戸
組子をふんだんに取り入れた見事なガラス戸

石山大原建具製作所は、伊藤建具店で建具職人としての修業を終えた石山さんが昭和49年に独立してスタートさせました。平成3年に現在地に移転。一般住宅の襖、障子戸、ガラス戸などの製作から木工芸の華といわれる組子の製作まで手掛けています。さらに近年では「全国伝統建具技術保存会」の幹事として京都西本願寺など歴史的建造物の修復工事にも協力。現在、石山さんは2名の職人の指導にあたっています。後継者不足が叫ばれる職人の世界、ここではしっかりと技の伝承がなされているようです。

工作の得意な少年は、親戚の勧めで
中学卒業後に建具店での修業へ
石山孝次郎さん

今ではめっきり少なくなった職人を目指す人々。石山さんの少年時代には、大工、左官、建具などの職人を目指す若者がまだ少なからずいたといいます。小・中学校では工作が得意だったという石山さんの筋を見抜いてか、親戚の人が建具店での修業を勧めてくれたのだそうです。修業期間中に夜間の山形県立職業訓練校にも通い、技術と知識を積み上げていきました。そして、5年間の修業と1年間のお礼奉公を経て、石山大原建具製作所として独立。襖、障子戸、ガラス戸などの建具の製作に励み、5年10年と経験を積んで基礎を修得し、少し余裕ができてから、幾何学模様が美しい組子細工に取り組むようになったのです。
組子とは、細かく割った木材を手作業で組み合わせ、釘などをいっさい使わずに伝統的な麻の葉柄や胡麻柄など様々な模様に作り込んでいく伝統的な技法。和室の障子や欄間(らんま)などに使われているのを目にしたことがあるのではないでしょうか。石山さんは、その組子の卓越した技と独創的なデザインで注目を集め、さまざまな賞にも輝いています。

石山孝次郎さん
石山孝次郎さん
石山孝次郎さん
石山孝次郎さん
石山孝次郎さん
石山孝次郎さん
組子の製作工程。木材を細く薄く切り揃えて組子材を準備。基本のカタチを組んで、枠の中にはめ込んでさまざまな模様に仕上げていく

たくさんの受賞・表彰歴、役職を重ねながらも
「まだまだ修業中」と、どこまでも真摯な人柄
石山孝次郎さん
建具製作の醍醐味や受賞の喜びを笑顔で語る石山さん

探求心旺盛で努力家の石山さんは、昭和61年に職業訓練指導員免許証を取得したのを皮切りに、一級建具技能士、一級家具技能士、一級機械加工技能士、機械加工作業主任者といった資格を次々に取得。さらに、その大らかで人当たりのよい人柄とも相まって、さまざまな団体の役職に推されることも多くなっていきました。現在は、建具という専門分野だけでも、全国建具組合連合会技術委員、全国伝統建具技術保存会幹事、山形県建具組合連合会副会長、山形県技能検定委員といった要職にあります。
それでいて製作意欲もますます盛ん。芸術品としての色合いが強い組子は高級品で多くの需要が見込めないため、いくら組子の技能が優れていてもそれに特化することなく、日々、一般的な建具製作に精を出しています。その合間を縫っては展示会用にと、芸術的な組子入り障子戸などを製作。その仕事ぶりが高く評価され、代表的なものだけでも、「現代の名工」表彰や全国建具展示会「内閣総理大臣賞」受賞など、受賞歴、表彰歴は枚挙にいとまがありません。それでも、周囲の高い評価におごることなくさらに研鑚を積んでいます。

石山孝次郎さん
全国建具展示会で最高賞の内閣総理大臣賞に輝いた「山寺組子入障子戸」

耐震補強建具で新たな需要の開拓、
歴史的建造物の保存工事で先人の技に触れる
耐震補強建具
格子組で耐震性能を向上させ、鴨居が下がるのを防ぐ耐震補強建具

壁がクロスになり、襖がドアになり…、住宅事情の変化により職人の腕の見せ所がめっきり少なくなり、職人の数も激減していることに寂しさを覚えるという石山さん。日本の伝統技術を後世に伝えていくためにも新たな需要を創出しようと山形県建具組合連合会として取り組んでいるのが耐震補強建具。4枚建具のうち両端の2枚を固定し、格子組で耐震強化を図ると同時に中の2枚の開閉を確保するというもの。特に、築年数の長い住宅の補強に普及させたい考えです。
また、同じく日本の伝統技術の継承という観点から、石山さんは松島の瑞巌寺や京都西本願寺の補修工事にも参加しています。西本願寺では、修復工事に先立って研修作業を受講。いかに昔の建物そのままの状態に近づけられるかが重要になってくる修復工事は、新たに作る以上に難しい作業です。先人たちの技に圧倒されながらも、そこから何かを学ぼうとする石山さんの貪欲な姿勢には改めて頭が下がります。ぜひ、その精神と技を併せて後進に伝えて欲しいものです。

耐震補強建具
石山孝次郎さん
京都西本願寺修復工事の研修作業に励む石山さん
(200910/21取材)

石山孝次郎さん

石山大原建具製作所

山形市郊外、工業団地エリアの一角に位置する石山大原建具製作所。敷地内には建具や組子の材料となる木材が並べられ、作業場からは時折、木材を削る機械の音や組子を組み合わせる木槌の音が聞こえてくる。石山さんを含め3人の職人さんが、日々伝統の技を磨きながら、耐震建具の考案、試作といった新たな建具製作にも積極的に取り組んでいる。その一方では、伝統建具の保存修復に協力するなど、歴史と未来を股に掛けた多方面での活動が際立っている。

石山大原建具製作所
代表者:代表 石山孝次郎
創業:昭和49年6月
事業内容:襖、障子戸など建具全般の製作、組子製作
所在地:山形県山形市大字十文字大原2121-3
TEL:023-686-2395
FAX:023-686-2780

Categories: 山形の達人

機能美を実現した
高度なフォルム


株式会社ダイユー

世界にはばたくメイドイン山形
機能美を実現した
高度なフォルム
株式会社ダイユー(新庄市)

縫製作業 自動車シート

ホンダ、スズキ、三菱、レカロなど、さまざまなメーカーの車種に採用されているダイユーの自動車シート。その縫製作業のほとんどを女性社員が担っている

距離的ハンデを仕組みと技術力で乗り越える

株式会社ダイユーは、自動車シートの製造を手掛けて30年。ホンダ、スズキ、三菱、レカロなど、日本の名だたる自動車メーカーにシートを提供しているサプライヤーです。輸送時間や輸送コストのことを考えれば、組立工場の近郊に立地しているほうが断然有利なわけですが、ダイユーの所在地は山形県内でも北部に位置する新庄市。関東、東海といった自動車メーカーの生産拠点から遠く離れており、立地条件としては決して恵まれているとはいえません。それでも、人との出会い、つながりから始まった自動車シートづくり、その縁を大切にすべくさまざまな工夫とシステムの構築によって距離的ハンデをカバーし、業績を伸ばしてきました。それらは確かな実績となり取り扱い自動車メーカーも徐々に増加、現在4社14車種の自動車シートを手掛けています。ドイツ生まれの世界的なブランド、「レカロシート」もその一つです。

自動車の進化とともにシートの設計・デザインもどんどん複雑化しています。ダイユーでは、材料の裁断はコンピュータ制御による機械化を進めていますが、縫製は複雑で自動化は難しく、一枚一枚手作業で仕上げています。立ちミシンで、一つのグループで最初から最後まで作り上げる一枚流しという方式を取り入れ、徹底した効率化と品質遵守を両立。縫製工程のほとんどが、根気強く、手際よく仕事に取り組む女性社員たちの手に委ねられています。

縫製工程
女性社員のテキパキとした仕事ぶりが目を引く縫製工程
裁断工程
裁断工程。必要な長さに切り分けられた材料が何枚も重ねられ、コンピュータ制御されたマシーンで様々な形に裁断される
裁断工程
縫製工程

日本車に対する評価の一端となる責任

日本経済の成長を牽引してきた自動車産業。「その日本車の乗り心地を大きく左右するシートを製造している私たちダイユーは、日本車に対する高い評価の一翼を担っている、そんな自負と責任感を持って仕事に取り組んでいます」と語るのは、取締役管理本部長の佐藤満也さん。万一、納入した製品の品質に問題があったり、納期が遅れてしまったりした場合には、組立工場のラインを止め大きな損失を与えてしまう大変な事態に。品質と納期の遵守はサプライヤーとしての絶対的使命なのです。その上で、「より良いものを、より安く作る」というモットーを実践していくためにコストパフォーマンスの追究にも余念がありません。

キーポイントは、試作ラインの充実にあります。新車の場合には、約1年前から試作ラインを立ち上げ、製造工程のシミュレーションを繰り返し、より緻密で効率のよい最適な生産レイアウトを構築した上で本格的な生産ラインをスタート。日々の製造現場では、職場としては当たり前ともいえる「整理・整頓・清潔・清掃・躾」の徹底を図るために「 5 S 活動」 を週1度取り入れるなど、より質の高い仕事をするための環境を整備しています。

検品は厳しく念入りに
品質遵守を実現するため検品は厳しく念入りに
検品は厳しく念入りに

「きれいな地球を守るため、環境との調和に配慮した産業活動を行い、地球に優しい企業を目指します」を基本コンセプトに掲げているダイユーでは、業界の中でもいち早くISOに取り組み、2000 年 7 月に「 9001 」、2001 年 12 月には「 14001 」を取得しています。 社員自らが企画し推進する、社員主導型で取り組んだISO の仕組みづくり。それらがしっかりした管理生産体制に反映されているのです。さらに、改善活動や提案制度などにも全社員が一丸となって取り組んでいます。
佐藤満也取締役管理本部長
自動車業界における自社の役割などについて語る佐藤満也取締役管理本部長

多方面で地域貢献、グローバルに中国進出

ダイユーでは、主力製品である自動車シートのほか、その技術とノウハウを生かして介護用ベッドの生産にも携わっています。前述の通り、縫製作業は根気のいる手作業でマンパワーがものをいう世界。ダイユーにおいてそれらを支えている社員のほとんどは地元出身者です。地元の安定的な雇用の受け皿となっているとともに、会社見学やインターンシップも積極的に受け入れ、地域社会への貢献、交流にも努めています。

地域とのつながりを大切にする一方で、自動車業界のニーズに迅速に対応するために、県内の米沢市、村山市、大蔵村、最上町には工場を設けて生産力をアップ。自動車メーカーの組立工場が立地する埼玉、静岡、鈴鹿には事業所を開設し、随時スムーズに納品できるような体制にしています。さらには、自動車メーカーの生産拠点の海外進出に呼応して中国にも2つの工場を創業しました。

品質、納期、コストに徹底的にこだわるとともに、お客様のニーズに合わせ、最適な生産レイアウトを構築し、満足感のある商品を提供し続けることがダイユーグループの使命。つねに地域密着にして時にグローバル、果敢な事業展開で時代の激変にも対応できる足腰の強い企業と言えるのではないでしょうか。

広州大友汽車座椅有限公司(中国 広東省広州市)
広州大友汽車座椅有限公司(中国 広東省広州市)
嘉興大友汽車座椅有限公司(中国浙江省平湖市)
嘉興大友汽車座椅有限公司(中国浙江省平湖市)
(2009/9/18取材)

株式会社ダイユー

株式会社ダイユー
株式会社ダイユーは、昭和54 年に自動車シートの縫製メーカーとして操業を開始。以来、「より良いものを、より安く作る」を使命として、納期遵守でお客様のニーズに対応しています。進化の速い自動車業界にあっても、つねに機能性とデザイン性の両方を追究し、確かな裁断技術と優れた縫製技術で高度なフォルムを実現。現在、日本国内に 2 法人・8 拠点、中国 に2 法人・2 拠点を構えています。各拠点では、品質情報、生産情報、CAD データ等を共有し、一貫した生産ラインのもと、クオリティ・コスト・納期のさらなる充実を目指しています。
代表者:代表取締役 八鍬 修
設立:昭和54年10月
従業員数:225 名
事業内容:自動車シート、介護用ベッド
所在地:山形県新庄市大字福田字福田山711-170
TEL:0233-23-1101
FAX:0233-29-2410

株式会社スリーエム

斉藤一人さん

アパレル業界では
知る人ぞ知る企業。
さらに存在感をアピールし、
めざすは日本一の縫製工場。
株式会社スリーエム (新庄市)

新庄市界隈には、縫製加工業者が少なくありません。その中でもとりわけ元気のある企業として注目されているのが「株式会社スリーエム」です。9つの生産ラインで月産30,000着の生産能力を誇り、高品質にして納期遵守、小・中ロットにも対応してくれる縫製工場としてアパレル業界では定評があります。ユナイテッドアローズ、PAPAS、Theory、23区など、取引先にはそうそうたるメーカー名、ブランド名が並びます。

斉藤一人さん

プロフィール
斉藤 一人 さん

昭和39年生まれ。
山形県新庄市出身。
山形県立新庄農業高等学校(現・新庄神室産業高等学校)卒業。
1982年 自衛隊に入隊し、4年間札幌勤務。
1987年 株式会社スリーエム入社。

入社の動機、きっかけは?

高校卒業後、自衛隊に入隊して4年間を札幌で過ごしました。札幌は、人も街もオシャレでとても刺激的。その頃から、ファッションにも興味を持つようになり、その道で仕事をしてみたいと思うようになっていました。ふるさとである新庄に戻り、街の服屋で1年間、販売員として働きましたが、売る側より作る側の方が面白いのではないかという思いに駆られて、スリーエムの創業と同時に入社しました。

具体的な仕事内容を教えてください。

入社して数年間は、実際に裁断や仕上げの仕事をしていましたが、今は工場長として工場全体の生産状況の把握と商品出荷時の管理業務を行っています。中でも、お客さまにより良い商品を提供するにあたっては出荷時の厳しいチェックが欠かせません。私の仕事はその責任重大な出荷における管理が主となっています。

この仕事で頑張ってこられた原動力は?

会社の創業と同時に入社したのですが、最初はそのスピードとパワーに右往左往し、ついていくのがやっとの状態でした。会社にもかなり迷惑をかけていたと思います。何とかしたいという思いでずっと頑張ってきて、10年ほど過ぎたあたりから、段々スムーズに仕事が進むようになり、手応えが感じられるようになりました。それからはこの仕事ならではのやりがいや面白味がどんどんわかってきて、現在に至っています。

具体的な仕事内容を教えてください。

入社して数年間は、実際に裁断や仕上げの仕事をしていましたが、今は工場長として工場全体の生産状況の把握と商品出荷時の管理業務を行っています。中でも、お客さまにより良い商品を提供するにあたっては出荷時の厳しいチェックが欠かせません。私の仕事はその責任重大な出荷における管理が主となっています。

この仕事で頑張ってこられた原動力は?

会社の創業と同時に入社したのですが、最初はそのスピードとパワーに右往左往し、ついていくのがやっとの状態でした。会社にもかなり迷惑をかけていたと思います。何とかしたいという思いでずっと頑張ってきて、10年ほど過ぎたあたりから、段々スムーズに仕事が進むようになり、手応えが感じられるようになりました。それからはこの仕事ならではのやりがいや面白味がどんどんわかってきて、現在に至っています。

強く影響を受けた上司の言葉や出来事を教えてください。

創業と同時に入社したので、直属の上司といえば社長ということになりますね。その社長からは常々、「絶対に無理と言うことはない。どんなに難しい縫製でも、短納期のオーダーを受けても、必ず解決する方法があるから、考えろ。考えれば必ず出来る」と言い聞かされて来ました。無謀な言葉のようにも聞こえますが、実際にそれぐらいの気持ちで事にあたると道は開けるもの。「なるほどな」と思いながら、最初からあきらめるのではなく、解決方法を考えるようになりましたし、社員にも浸透させるようにしています。

裁断の様子
製品づくりの第一段階となる裁断の様子。

この道におけるプロフェッショナル像とは?

つねに「良い製品を納期どおりに納めること」だと思います。単純ですが、それが一番難しいことでもあるのです。そして、社員全体で共有している目標でもあります。

この仕事に適性を感じるのはどんなところでしょう。

自分では、この仕事の何が自分に合っているのかわかりませんが、気持ちにしろ性格にしろ、弱い部分がずっと鍛えられている感じがします。そういう意味では、この仕事をやってきて良かったと思っております。それと、強いて挙げれば根気強いところでしょうか。ファッション業界という華やかなイメージとは違って、細かい作業が多く、どの工程をとっても気が抜けない、奥の深い仕事ですから。

斉藤一人さん
渡辺さん
品質第一、厳しい目が光る出荷前の検品作業。

斉藤一人さん
作業をする若手スタッフにアドバイスをする斉藤さん。斉藤さん自身、かつてやっていた仕事でもある。
この仕事で一番大変な事、最もやりがいを感じる瞬間は?

納期が集中しているときのやりくりが一番大変ですが、その仕事をきっちりこなし、しっかり納品できた時は、最高の満足感が得られ、それがやりがいにつながっていくと思います。大変さとやりがいは紙一重、大変なことを乗り越えないと本当のやりがいは味わえない、そう考えます。

この仕事をする上で大事にしていることは?

一人でできる仕事ではありませんから、いちばん大切なのはチームワークです。足りないところ、遅れているところを皆で助け合って目標をクリアする。お互いにそういうことが自然にできる環境、雰囲気を作っていくことも工場長である私の仕事だと思っています。

今、部下や後輩たちに伝えたいことは何ですか。

良い商品を納期どおりに納めるには、皆が検査表や納期表を確認し、やるべき 時にはやらねばと言う、前向きな姿勢と意欲を持って仕事に立ち向かって欲しい。“成せば成る”です。

今後やってみたい仕事、将来の目標などをお聞かせください。

スリーエムは、地元やアパレル関係では、そこそこ名前が通っています。もっといろんな側面からいろんな形でアピールし、日本一の縫製工場になれるように頑張ります。

渡辺さん
縫製の仕上げ段階でスタッフとチェック、検討する斉藤さん。細部にも気を配り、修正ポイントなどの指示を出す。

自衛隊からファッション業界へ、異色の経歴を持つ斉藤さんですが、転身して大正解だったのでしょう。職場でのイキイキとした工場長ぶりがとても印象的でした。すでにプロフェッショナルともいえるキャリアの持ち主の斉藤さんですが、「奥の深いアパレル業界においてはまだまだ」と、とても謙虚。今後も名だたるブランドの製品がここから発信されるのだろうととても楽しみです。

(2009年取材)

株式会社 スリーエム

昭和62年、新庄市若葉町にて縫製加工業として操業を開始。「MADE IN CHAINA」が幅を利かせる縫製業界にあって、クオリティの高さ、国内ならではの迅速な輸送、納期の確実さなどを武器に着実に業績を伸ばしている企業。関連会社に「有限会社サンエムファッション」、「株式会社CKニット」がある。

株式会社スリーエム
代表者:代表取締役 監物 千代士
創業:1987年4月
従業員数:122名
事業内容:ブラウス、シャツ、ワンピース、スカート、カットソー、パンツ、 子供服、ベビー服等の縫製加工業
所在地:山形県新庄市大字仁間21
TEL:0233-23-4333
FAX:0233-23-3541

金属材料の達人


原秀夫さん

金属材料の達人 原 秀夫さん
昭和25年生まれ、北九州出身。旧・日本鋼管鶴見造船所勤務を経て、工学院大学に入学し、金属加工を専攻。昭和48年に現在の株式会社TBK材料検査課に入社。平成2年よりティービーアール株式会社勤務。金属材料試験における組織試験および機械試験の1級技能士、熱処理1級技能士、公害防止管理者ほか技能資格を多数取得。機械検査技能士認定試験官、金属材料試験職業訓練指導員。
現在は、品質管理課課長および庄内工業振興会の材料研究会会長を務めている。

ブレーキをはじめとする重要部品を製造、
クルマ社会の安全と信頼を支える
ブレーキの機能部品をはじめとするTBRの主要製品
ブレーキの機能部品をはじめとするTBRの主要製品

ティービーアール株式会社は、親会社である株式会社TBKにおけるブレーキシュー、ホイルシリンダー、オイルポンプなどの生産拠点として1983年(昭和58年)に創立。トラックやバス、トレーラー、産業機械などの安全性をつかさどるブレーキの機能部品を担当しています。人の命を預かる重要部品を製造しているという自覚と緊張感のもと、品質管理に並々ならない努力を重ねていることはいうまでもありません。また、エンジン性能を大きく左右するオイルポンプも主力製品。鋳型から自社製造の鋳物、溶接、プレス、組み立てなど、部品製造のノウハウと技術力で高品質を支え、自動車安全基準の拡充・強化にもいち早く対応しています。

金属材料との関わり約42年、
分析と信頼性試験、そして磯釣りの日々
顕微鏡試験
顕微鏡試験

北九州出身の原さんを遙か山形県庄内地方に引き寄せたのは、原さんの金属に関する専門性を会社が必要としたこと、そしてそれ以上に、磯釣りが目当てだったといいます。北九州、神奈川と各地の磯釣り場に立ち、最終地点として選んだ場所が憧れの黒鯛釣りの本場、山形県庄内。「仕事よりも趣味の人」と思われるかもしれませんが、「仕事が中途半端だと心が乱れて魚は釣れない」というセオリーの持ち主で仕事ぶりもまた徹底しています。

そんな原さんの仕事は、金属の性質や損傷、疲労、脆性等の状態を調査、研究すること。五感を使っての官能検査、さらに電子顕微鏡によるミクロの観察で金属を評価するのです。原材料、部品、構造物、それぞれの段階で金属の強度や性質を正しく評価しなければ安全で信頼性の高い製品をお客さまに提供することはできません。ましてティービーアールが製造しているのは、人の命を預かる車のブレーキやエンジンの機能部品。わずかな材質の狂いが欠陥の発生やリコールにまで発展しかねません。原さんが下す評価は社会に安心を与える上で欠かせないものなのです。

TBR製品
TBR製品
高速マイクロスコープなどの機器を使って破壊や破損の原因を徹底究明
原秀夫さん

親の代から鉄鋼マン、夜学の工学院大学で金属加工を専攻。
黒子に徹してものづくりを陰で支える
工場内のさまざまな工程にも原さんのチェックの目が光る

各種工業製品や工芸品など、ものづくりの達人はさまざまな分野に存在しますが、原さんの達人たる所以は、自らがものをつくるのではなく、そのものづくりを陰で支える「評価技術」を極めている点にあります。“形あるものはいずれ壊れる”わけで、いきなり壊れるもの、徐々に壊れるものなど、そのメカニズムをミクロレベルで解析調査。壊れ方の痕跡から原因を究明し、それを次の対策、新たな製品づくりへと反映させていきます。つまり、材料開発から製造工程、品質保証まで、原さんの評価は製品づくり全般に及びます。

父親も鉄鋼マンで、ごく自然に鉄鋼の世界に入ったという原さん。当初は上司に指示されるまま電子顕微鏡で試料を撮影しデータを作成していただけだったといいますが、その後、夜学の工学院大学で金属加工を専攻し、本格的に金属のエキスパートの道へ。組織試験技能士1級をはじめ、機械試験技能士1級、熱処理技能士1級、さらには機械検査技能士認定試験官および金属材料試験職業訓練指導員の資格も取得。材料研究室勤務を経て昭和48年に現在の株式会社TBKの材料検査課に入社し、平成2年からはティービーアールに勤務。庄内工業振興会材料研究会の会長を15年にもわたって務めるなど、この業界には欠かせない存在となっています。

鋳物鋳造
鋳物鋳造
自動三次元測定器
自動三次元測定器
原さんが40年以上にわたって愛読してきた金属に関する専門書
原さんが40年以上にわたって愛読してきた金属に関する専門書
TBR製品
ブレーキの機能部品をはじめとするTBRの主要製品
TBR製品

金属に関する評価技術で地域産業に貢献。
社員のレベルアップ教育にも熱心で自身の探求心もますます旺盛
「ミスは許されない製品づくりの黒子」と自らの仕事を分析する原さん
「ミスは許されない製品づくりの黒子」と自らの仕事を分析する原さん

金属材料の材質調査や解析は工業技術センターなどの機関に委託するのが一般的ですが、原さんのいるティービーアールでは、自社で検査を行うことができるのです。それどころか、逆に原さんのもとには他社、他県からも金属素材に関するさまざまな依頼や相談が持ち込まれます。大学や産業技術短期大学校、職業能力開発センターなどとの交流も生まれています。金属材料に関する企業の勉強会では講師を依頼されるほどです。もちろん、社内でも測定コンクールや間違い探しパフォーマンスなど、工夫に富んだ測定教育や実習を行い、社員のレベルアップに努めています。

環境問題等への対応でますます軽量化が求められる自動車。新素材の研究開発は必須課題といえましょう。その信頼性を判断する評価技術にもより高い精度が求められることは言うまでもありません。金属の神秘、ミクロの世界に魅せられた原さんの更なる探求心に寄せられる期待と信頼は増すばかりです。

(2009/9/17取材)


ティービーアール株式会社

ティービーアール 株式会社

ティービーアール株式会社は、ブレーキとエンジン部品の株式会社TBKのグループ企業。粗型材から加工・組立まで一貫した生産体制を特徴とし、主な製品は大型トラック、バス、建機特殊車両のブレーキ、水ポンプ、オイルポンプ、ターボのハウジングなど。さらに、この自動車産業で培った技術的ノウハウを建設機器などの製造にも発揮している。より安全で信頼性の高い製品をお客様に提供するために国際品質規格TS/16949、環境ISOを取得。企業は人なりと、社員はもちろんパートスタッフにも各種技能検定の取得を奨励している。

ティービーアール 株式会社
代表者:代表取締役 佐藤 勉
設立:昭和58年12月
従業員数:356人
事業内容:大型車用ブレーキシリンダー・シュー、ポンプ、ベアリングハウジング
所在地:山形県鶴岡市宝田一丁目11-16
TEL:0235-23-9551
FAX:0235-22-7222
URL:https://www.tbr-jp.com/index.html

Categories: 山形の達人

世界に一つの糸を
紡ぎ出す


佐藤繊維株式会社

世界にはばたくメイドイン山形
世界に一つの糸を紡ぎ出す
佐藤繊維株式会社(寒河江市)

極細のモヘア糸工程を繰り返して糸の太さや本数を均一にしていく

歴史的にも絶対に作れないといわれていた極細のモヘア糸。
この糸で編んだカーディガンをオバマ大統領の就任式でミッシェル夫人が着用したことで一躍話題に。

メイド・イン・ヤマガタが世界の檜舞台に

米国オバマ大統領の就任式でミッシェル夫人が着用したやさしい風合いの黄色いカーディガン。世界的ブランド、ニナリッチのカーディガン、それがメイド・イン・ジャパン、しかもメイド・イン・ヤマガタのモヘア糸で編まれたものとわかって大変な話題となりました。柔らかい肌触りが特長で風雅な趣から「フーガ」と名付けられたその糸はアンゴラヤギの毛1グラムを44メートルまで伸ばした極細モヘア糸。歴史的にも不可能とされてきた極めて細い糸を紡ぐことに佐藤繊維が成功したのです。佐藤繊維の名が広く一般の人々にも知られるようになったのはこの一件がきっかけとなったわけですが、その数年前から繊維業界、アパレル業界ではすでに注目を集める存在となっていました。

快進撃の始まりは2007年のイタリア。30色のグラデーション糸やウールで和紙を包んだ糸など、独創的な糸をひっさげて世界最大規模のニット用糸見本市に初出展。すぐにグッチのバイヤーの目に止まり、その後もイブサンローランやランバンから注文が入るようになりました。また、毛1グラムを52メートルまで伸ばしたさらに極細のモヘア糸でシャネルから大量注文を受けるようになったのです。

ジーンズが千円以下での価格競争を繰り広げているこの時代、有名ブランドであれば数十万円はするニットと同じ糸で編んだ、佐藤繊維オリジナルのニットが数万円で大変な割安感をもって買われています。「高くてもいいものを作る」そんな佐藤正樹社長の信念に時代が追いついてきたのでしょう。

展示風景
イタリア「ピッティフィラテイ展」に出展した際の展示風景。

逆境にあったからこそ成しえた進化

世界の一流ブランドからの注文が相次ぎ、テレビ通販ではオリジナルブランド商品が瞬時で売り切れる、こんな現状からは想像に難いのですが、佐藤繊維もずっと順調だったわけではありません。他の繊維業者同様に中国製品に市場を奪われ、危機的状況に追い込まれたこともありました。それを好転させたのは現在の4代目社長、正樹さんの糸づくりへの一途な思いです。注文を受けて言われた通りのものを作るのではなく、自分たちが作りたいものを作るという方向に転換を図っていったのです。そこには当然、原料の厳選や従来通りの紡績にこだわる技術者たちとの軋轢などさまざまな試練がありました。それでも初志を貫徹し、数年後、技術者たちは独創的な糸を紡ぎ出すようになっていました。佐藤社長のアイデアで廃棄処分寸前の昔の機械を買い受けて改良し、コンピュータ制御では出来ないことを手作業で行い、より繊細な糸を紡ぐようにしたのです。この方針転換を佐藤社長は「進化」と呼び、苦しい時代を経験したからこそ成しえた変化だったと分析しています。

それなりに生き長らえる環境であったら、進化の必要もきっかけもなく静かに現状維持に甘んじていたに違いないと。「一つ事がうまくいくと、次から次へと新しいアイデアが出てくるものです」さまざまなマイナス材料を思いっきりプラスに転じた人物ならではの自信に満ちた佐藤社長の言葉です。

時代に逆行した昔の機械
時代に逆行した昔の機械
「時代に逆行した昔の機械の方がむしろ繊細な糸を紡ぐには適している」とのこと
工程を繰り返して糸の太さや本数を均一にしていく
工程を繰り返して糸の太さや本数を均一にしていく
原料である羊毛を引っ張りながら伸ばすといった工程を繰り返して糸の太さや本数を均一にしていく

一見、やり手営業マンのようでもある佐藤社長ですが、その根底にあるのはものづくりへのこだわり。お金儲けだけが目的であれば楽な方法はいくらでもあったに違いありません。佐藤社長はゼロからものを作り出す喜びを知っているからこそ、本物にこだわり、そこにストーリー性を重視するプロデュース力も加わって多くの人々を魅了することにつながったのでしょう。

自社で紡いだ糸
自社で紡いだ糸
自社で紡いだ糸で製品化まで。ニット製品、アパレルでも定評がある
自社で紡いだ糸

技術プラスプロデュース力で最強ビジネス

わずか数年前までは地元の高校にいくら求人を出してもまったく人が集まらなかったという佐藤社長。それが今や東京や大阪からの就職希望者も殺到しているといいます。その多くは芸大や美大出身者。製造業は厳しいといわれている時代ですが、ゼロからものを作り出す技術を持ち、さらにそれを自らプロデュースする能力があればこんな強いことはありません。

これからは本物が評価される時代。そのことに気づいた若者たちが佐藤繊維の技と佐藤社長のプロデュース力を同時に学べるチャンスを求めてやって来るのです。もちろん、ものづくりの現場は甘いものではありません。その厳しさを体験しておくことも必ずやプラスになります。個人の力で、アイデアで今まで作れなかったものも作れてしまう製造業、佐藤社長が力説する通り、「これからは製造業がかっこいい時代」なのかもしれません。

佐藤社長
会う人に強烈な印象を与える鮮やかな金髪の佐藤社長。実は、これもファッション業界で目立ち、生き抜くための戦術の一つ
(2009/11/30取材)

佐藤繊維株式会社

佐藤繊維株式会社
佐藤繊維は、1932年に創業者佐藤長之助(現在の社長の曾祖父)が周辺農家とともに羊を育て、その羊毛を原料とした毛紡績業を興したことに始まる。それだけに原材料に対するこだわりは強く、南アフリカのモヘア、ペルーのアルパカ、モンゴルのカシミアなど、世界中で厳選したものばかりを使用。その後、紡績部門を中心にニット製造部門、アパレル部門へも進出。2001年、社長と婦人の名前を冠したオリジナルブランドM.&KYOKOのコレクションはNYで最初に発表された。昨年8月には糸のショールーム、9月には都内百貨店にショップをオープンさせている。
代表者:代表取締役社長 佐藤 正樹
創業:昭和7年8月
従業員数:100名
事業内容:梳毛紡績糸、特殊紡績糸製造、販売、ニット製品製造、卸し、
     オリジナルブランドの製造、卸し、販売
所在地:山形県寒河江市元町1-19-1
TEL:0237-86-3131
FAX:0237-86-7716
URL:http://www.satoseni.com

米沢浜理薬品工業株式会社

渡部晃央さん

製薬会社の要求に
的確に応えることで、
人々の健康に貢献できる仕事。
人の痛みや苦しみに
敏感でありたい。
米沢浜理薬品工業株式会社(米沢市)

米沢浜理薬品工業は、大阪に本社を置く浜理薬品工業株式会社を中心としたハマリグループの生産拠点。医薬品を構成する成分である原薬や原薬中間体などを、原材料から合成し、ユーザーの要望に応じて製造しています。ここでいうユーザーとは、私たちエンドユーザーではなく、多くの場合、製薬会社です。渡部さんは技術部技術課の係長(2010年2月から課長)としてユーザーからの発注に応じて薬効物質の合成、製造に携わり、間接的ながら人々の健康をサポートしています。

渡部晃央さん

プロフィール
渡部 晃央 さん

昭和46年生まれ。
山形県米沢市出身。
山形大学工学部物質工学科卒業。
1994年 米沢浜理薬品工業株式会社入社。

3年半の大阪研修、3度の配置転換を経て、2005年 技術部技術課に配属となり、2010年2月からは課長として開発業務全般に携わっている。

入社の動機、きっかけは?

米沢生まれの米沢育ち。中高校生の頃から理系が好きでエンジニア志望でした。地元志向が強かったこともあり、ちょうど米沢には山形大学の工学部がありましたから、特に迷うこともなく進路を決定することができました。その中でも実家が農家だったせいか、理科、化学、生物などの広い分野に興味があって物質工学科を専攻。大学で学んだことを生かせる職場ということでこの会社に就職することになったのも必然だったような気がします。

具体的な仕事内容を教えてください。

入社半年後から3年半にわたって大阪の浜理薬品に出向し、業界の基本、有機合成に関する知識を習得するチャンスに恵まれました。その後、こちらに帰ってきていくつかの部署を経験して、4年前から現在の技術部技術課に配属になっています。これまでの仕事の中では今のセクションがいちばんしっくり来ているのではないかと感じます。
具体的な仕事内容としては、まず、ユーザーから依頼を受けた時点で技術スタッフとして先方に出向き、製造品目の詳細やスケジュール等について打ち合わせを行います。本格的に工場を稼働させる前に実験室で基礎的なデータを取る実験業務がメインですが、そのほかにも製造ラインの設計、製造現場での監視や指示、製造スケジュール管理、ユーザー側の開発担当者とのディスカッションなど、営業的な活動も含め、技術課の職務は実に多岐にわたります。

この仕事の魅力ややりがいはどんなところですか。

人の体内に入るものをつくる、ということで特殊性を感じますね。私たちのつくった薬効成分で人の痛みや苦しみを少しでも和らげることができるとすれば、それは何よりのやりがい。それだけに、社会的、道徳的責任を感じながら仕事に取り組む姿勢が必要です。自分たちのつくった成分が薬として形成されて世の中に出回るのを見届けると、実にホッとした気持ちになりますね。過去に世界的にヒットした商品の製造にかかわったことがあるんですが、その時は微力ながら社会貢献をしている実感が持て、素晴らしい経験になりました。

実験データの分析や各種提案書づくりなど、パソコンに向かってのデスクワークも多い
実験データの分析や各種提案書づくりなど、パソコンに向かってのデスクワークも多い

逆に、いちばん大変だと思うことは何ですか?

人の健康や生命に関わる仕事ですから、日々プレッシャーの中にいる点ですね。ものを作ってはじめて評価される仕事ですから、実験室でいくらうまくいっても当然それだけではダメ。工場がスムーズに稼働して滞りなく製品が納入されるのを見届けるまでが技術課の仕事です。実際にプラントを立ち上げてみたら不測の事態に……、そんなことも少なくないですからショックですし、不安ですよね。それだけにその打開策を見出せたときの充実感は最高です。

この道におけるプロフェッショナル像とは?

製薬会社を中心とするユーザーから依頼をもらって、それに応える受託製造ですから、さまざまな顧客ニーズに的確に応えられることが絶対条件です。ユーザーが求める成分の合成から製造ラインの設計、製造管理、スケジュール管理にいたるまでトータルに遂行できてはじめて一人前の技術者と言えると思います。

実験風景
チームメイトの実験風景。相談したりアドバイスを求めたりし合います
チームメイトの実験風景。相談したりアドバイスを求めたりし合います

渡部晃央さん
特に指導・影響を受けた上司や先輩は?

だれと限定することができないくらいいろんな人のおかげで今の自分があると思っています。大学で基礎を学んできたとはいえ、入社当時はまさにゼロからのスタート。みなさんに教えてもらった、育ててもらったというのが実感です。私と同じ山形大学のOBが多い職場なので、その点でも心強いというか恵まれていましたね。今は、上司部下、先輩後輩に関係なく、チームメイトのような感覚で互いに学ぶべきことは学ぶという姿勢によってとてもいいコンビネーションが生まれています。私自身、ここで学ばせてもらったことは全て後輩たちに伝えていきたいと思っています。

この仕事をしていく上で大切にしていることは?

企業人である前に人間として、人に迷惑をかけない人間、総合的にいい人間でありたいと思っています。人の役に立ちたい、人の痛みを癒したいといった気持ちも大切ですね。それから、どこの会社でもそうだと思いますが、人間関係は非常に大事です。コミュニケーションが十分でないと自分自身も成長できないし、会社だってそうだと思います。

責任の重い仕事ですが、リフレッシュ法は?

オンオフのメリハリ、ですかね。仕事のときは仕事に集中し、休日は自分の趣味に没頭しています。家庭に仕事は持ち込まないということをポリシーにしているので、オフの時は2人の娘たちとの時間を大切にしています。

今後やってみたいこと。

将来的には自社開発品、「浜理薬品」の名前で世の中に出回る薬をつくってみたいですね。現在の受託製造というスタンスでの目標としては、いろんな依頼を受けてそれに応えていくことで蓄積されたノウハウを昇華させて、企画、検討、製品化、納入まで、「ハマリなら何でもやってくれる」そんな薬品工業界の頼りになる存在になりたいと思っています。私自身もユーザーに足を運んで、自信たっぷりに「何でもできます、何でも言ってください」と言えるようになれたら究極ですね。
薬効成分の製造を通じて頼りにされる会社、喜ばれる会社を目指してきた米沢浜理薬品工業ですから、これからも人々の健やかな暮らしの一助となれるようにがんばっていきたいです。

大きな反応釜の前で製造現場の担当者から状況報告を受ける渡部さん
大きな反応釜の前で製造現場の担当者から状況報告を受ける渡部さん
原材料保管・管理について説明
原材料保管・管理について説明

一言一言、言葉を大切に選んで話をする渡部さん。人々の健康に関わる仕事に携わっている人ならではの慎重さ、実直さが感じられました。入社15年目の中堅ながら、部下や後輩のこともチームメイトといって尊重し、上司・先輩に対しては敬意を忘れない謙虚な人柄。私たちも知らず知らずのうちに渡部さんたちの製品に癒されているのかもしれません。この場を借りて、感謝です。

(2009/10/26取材)

米沢浜理薬品工業株式会社

米沢浜理薬品工業は、人々の健康に関わる製品づくりに携わる生命関連企業。得意としている反応は、ペプチド合成、不斉合成などで、特にペプチド合成については、海外企業からの依頼も急増中。社員一人ひとりがつねに高い倫理観を持ち、社会の信頼に応える行動をすることを旨としている。

米沢浜理薬品工業株式会社
代表者:取締役社長 高美 時郎
創業:1980年5月
従業員数:約130名
事業内容:原薬、原薬中間体、食品添加物、その他製造
所在地:山形県米沢市八幡原2-4300-18
TEL:0238-28-3801
FAX:0238-28-3805
URL:http://www.hamarichemicals.com

生産の国内回帰を
めざして自社開発


株式会社ウエノ

世界にはばたくメイドイン山形
生産の国内回帰を
めざして自社開発
株式会社ウエノ(鶴岡市)

トロイダルコイル パソコンに装着されているトロイダルコイル

電子機器のノイズを除去する「トロイダルコイル」(写真中央)と、その完全自動化を可能にした装置(写真左)

安くて質の高い労働力確保に奔走

ウエノは昭和57年にトロイダルコイルの巻き線業として創業。最初は二次下請け、次に一次下請け、そして平成10年にトロイダルコイルの専業メーカーとなりました。“トロイダルコイル”と聞いてもピンとこない人も多いかもしれません。日々の生活や仕事の中で必ずお世話になっているものです。電子機器に興味があってパソコンなどを分解したことのある人は目にしたこともあるでしょう。それは、パソコンやエアコン、プラズマテレビ、冷蔵庫などの各種家電製品、通信機器など、あらゆる電子機器に使われているノイズを除去する部品。デジタル技術の高度化に伴いノイズの発生要素が増え、コイル需要は急速に拡大しています。

ところが、これだけ機械化・デジタル化が進んだ現在でも、なぜかトロイダルコイル製造は手作業による巻き線が主流。ものづくりの三要素である「品質、納期、コスト」で競争力を高めるためには、質の高い労働力の確保が最大の課題でした。内職者の確保や刑務所への作業委託など、上野社長自らが労働力の開拓に奔走。そんな時代を経て、独自の海外展開により中国や韓国に進出を果たしたウエノの生産規模は月産550万個。その大半は中国で委託加工生産を行っており、日本国内の企業をはじめ、アジア各地に展開する日本メーカーなどに出荷しています。

「ノイズフィルターコイル」のラインナップ
ウエノで生産されている「ノイズフィルターコイル」のラインナップ
中国工場におけるトロイダルコイルの生産風景
中国工場におけるトロイダルコイルの生産風景

国内生産への転換期を見据えて

生産拠点を中国にシフトし人手を確保したものの、運送に往復1カ月かかる上、品質のばらつきを皆無にはできない。さらに今度は中国も経済発展に伴い人件費が高騰するなどの問題に直面。「もはや機械化しかない」、それが上野社長の下した決断でした。とはいっても、当初はどこかでよい巻き線機を造ったら購入しようぐらいの考えでいたのだそうです。ところが、これぞと思う機械はいっこうに開発されません。

トロイダルコイル自動生産装置が何台も並ぶ
トロイダルコイル自動生産装置が何台も並ぶ。機種ごとに改良が進み、生産力は着実に伸びている
中国での展示会の様子
中国での展示会の様子
中国の東莞工場
現在は、ここ中国の東莞工場が生産の大半を担っている
自動生産装置
自動生産装置なら力にばらつきがなく、電線にストレスがかからない

従業員が装置を操作・監視
ここでは従業員が装置を操作・監視するだけ。

それならばと、トロイダルコイル自動生産装置の自社開発に踏み切ったのが5年ほど前。莫大な開発資金と歳月をかけ、設計に取り組んだ技術陣のがんばりもあって、ようやく2007年に三川事業所にて試験導入を開始。翌08年6月からは24時間稼働を開始し、生産性は一気に30~40倍にまで高まったのです。この装置の導入によって納期の短縮はもとより、品質の向上・均一化やコスト削減という成果もあげています。「労働集約型から設備産業へ」、目指すはトロイダルコイルの生産革命。これからは中国依存から脱却し、着実に国内生産回帰へと向かっていくことでしょう。

自動生産装置で生産された出荷前のトロイダルコイル
自動生産装置で生産された出荷前のトロイダルコイル

日経ものづくり大賞受賞の快挙

人手で巻くという巻き線の常識を覆し、トロイダルコイル自動生産装置の開発を成功させたウエノは、「第5回日経ものづくり大賞」で日経BP特別賞を受賞。一躍産業界の注目を集める企業となりました。日経ものづくり大賞とは、最先端技術や独創的なものづくりの取り組みを取り入れた工場や研究所などの事業所、そこで導入しているシステムなどを表彰する賞。パナソニックやサントリー、鹿島、バンダイなど日本でも名だたる企業と肩を並べての受賞となりました。

「トロイダルコイル自動生産装置の開発により生産の国内回帰を目指しているという点が評価されたのでしょう。でも、当社としてはこれからが本当の勝負。自動生産装置による生産量は総生産量から見ればまだ1割にも満たない段階です。装置の改良を進めることによってさらに生産力を高め、品質、納期、価格に徹底的にこだわって “世界一のトロイダルコイルメーカー” を目指します。」と、受賞を大いに喜びながらも上野社長のビジョンはすでに世界を見据えています。

戦略について熱く語る上野隆一社長
「トロイダルコイルに特化し世界一を目指す」とこれからの戦略について熱く語る上野隆一社長
(2008/10/24取材)

株式会社ウエノ

株式会社ウエノ

電子機器の安定作動に必要なノイズフィルターコイルの専門メーカー。主力とするリング状のトロイダルコイル生産では国内トップ。人手を要する巻き線という作業の労働力を求めて中国に進出した。現在は、中国工場での生産が大半を占めるも、自動生産装置の開発に成功したことにより国内生産回帰への第一歩を踏み出した。

代表者:代表取締役社長 上野 隆一
創業:1982年1月
従業員数:60名
事業内容:ノイズフィルターコイル、平滑用チョークコイルの開発・
     製造・販売
所在地:山形県鶴岡市三和字堰中100
TEL:0235-64-2254
FAX:0235-64-4288
URL:http://www.uenokk.co.jp