山形鋳物の達人


菊地規泰さん

山形鋳物の達人 菊地 規泰さん
1959年、400年以上続く鋳物工房の15代目と して山形市に生まれる。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。パリ留学を目前に父親である 先代の急逝を受けて後継者となる。伝統の継承と新しいものの創造を伝統工芸の両輪と捉え、 昔ながらの技術を生かした独自ブランドを展開。 欧米および国内で高い評価と人気を集めている。

美大生から一転、400年以上続く老舗・鋳物工房の15代目に

菊地保寿堂は1604年(慶長9年)を創業の年としていますが、それ以前から鋳物づくりに携わっており、操業の歴史は400年をとうに越えます。そんな長い歴史と伝統をもつ老舗に、菊地さんが15代目として暖簾を引き継ぐ日は突然やって来ました。父である14代目の急逝により、美大生だった菊地さんはパリへの国費留学を急きょ取りやめて帰郷し、後継者となったのです。物心付いた頃にはもう鋳物工場内でよく遊び、自然に鋳物づくりに親しみ、小学4年生の時には見よう見まねで茶の湯の釜を作っていたと言います。

家業を継ぐことを特に意識することはなかったものの、ものづくりが好きで進んだのが彫刻の道。奇しくも西洋彫刻の限界を感じ、東洋美術・日本美術に興味が湧いてきた時期だったこともあり、前向きに家業を継ぎたいと思えたそうです。

菊地規泰さん

道具としての鋳物にこだわり工房としての達人を目指す

家業を継いで最初に感じたことは、達人といわれる一人の職人に頼りすぎた伝統工芸の世界の危うさ、そして、職人のアーティスト化により伝統が廃れつつある のではという懸念でした。先代の下で修業する間もなく15代目にならざるを得なかった菊地さんの不安は大きいものでした。しかし、幸いにも菊地保寿堂には先代を支えた腕のいい職人がいたことと、菊地さん自身、ジャンルは違っても彫刻というものづくりを経験してきた自信から「なんとかなる」と奮起したのだそうです。
まず、一個人を「達人」としてフィーチャーするのではなく、工房単位での鋳物づくりを目指しました。「山形の達人」というこのコーナーに菊地さん個人での登場をためらわれるほどに、工房全体を「達人」と評価されることを望んでいるのです。また、鋳物は道具であって芸術品ではないとして、使う相手のためのものづくりに徹しています。そして、「伝統産業は受け継ぎ伝えるだけでは廃れてしまう。その時代に合った新しいものを生み出していかなければならない。つまり、伝承と革新の両輪が必要」と、昔ながらの茶の湯の釜などを製造する一方で新製品の開発にも積極的に取り組んできました。

原料となる鉄から厳選
原料となる鉄から厳選
鉄を一気に溶かす炉
鉄を一気に溶かす炉
仕上げは、あら仕上げ・中仕上げ・上がり仕上げの3段階
仕上げは、あら仕上げ・中仕上げ・上がり仕上げの3段階
若手スタッフを指導する菊地さん
若手スタッフを指導する菊地さん
砂を圧縮し、鋳型を作る
砂を圧縮し、鋳型を作る

技の継承と時代に合った新しさ生き抜くための成長戦略
WAZUQUブランドの代表作「まゆ」。他産地製品と比べて垂れない注ぎ口が特徴
WAZUQUブランドの代表作「まゆ」。他産地製品と比べて垂れない注ぎ口が特徴

菊地保寿堂では、昔から薄くて保温性の良い鉄づくりを得意とし、軽くて使い勝手のいい急須や鉄瓶、茶の湯の釜などを作ってきました。芸術家の故・岡本太郎氏から彫刻作品の鋳造をいくつも依頼されていたことからも菊地保寿堂の技術レベルの高さをうかがい知ることができます。もちろん、かつて彫刻を学んでいた菊地さんの持つ芸術的感性によるところも大きかったことは言うまでもありません。そんな菊地保寿堂の伝統技術と15代目の感性が融合して生まれたのが新ブランドWAZUQU(わずく)です。薄くて保温性に優れた菊地保寿堂ならではの鉄づくりの技術を生かして、斬新なデザインのティーポットを発表。

その後、山形出身の世界的工業デザイナー奥山清行氏とのコラボレーションが実現し、WAZUQUブランドはさらに洗練されたコーヒー&ティーポットの「まゆ」や「ふく」などを世に送り出していったのです。

欧米が認めたWAZUQUブランド「逆輸入」的に国内でも大人気

2006年にインテリア界の「パリコレ」とも言われるインテリアデザインの総合見本市「メゾン・エ・オブジェ」で世界的に注目を集めたWAZUQUブランド。機能性とデザイン性を兼ね備えた、そのメイド・イン・ヤマガタは、本物を愛する欧州の人々から高く評価され、やがて評判はアメリカにも波及していきました。
現在、菊地保寿堂ではあの世界最大のカフェチェーン・スターバックスが新たに展開するお茶専門店からカップなどの発注を受けています。WAZUQU人気は一過性のブームではなくクールジャパンとして定着したと言えるのではないでしょうか。こうした欧米での話題を受けて日本国内での人気も高まり、逆輸入的現象で注文が殺到しています。

これを機に 知名度も評価も高まった山形鋳物。品質を保つことはもちろん、さらに高みを目指していかなければなりません。「つねに求められる品質以上のものを作り出すようにしています。予想や期待を超えたところにしか感動は生まれませんから。そのためにも若手スタッフのレベルアップが不可欠なんです」と、後進の育成に意欲を見せる菊地さん。今度は時代をどう読み、どんな道具を作り出すのか、次の一手に期待と関心は高まるばかりです。

山形鋳物の可能性について熱く語る菊地さん
山形鋳物の可能性について熱く語る菊地さん
軽くて保温性にも優れたコーヒー&ティーポット
軽くて保温性にも優れたコーヒー&ティーポット
(2013/11/29取材)

株式会社 菊地保寿堂

株式会社 菊地保寿堂

山形鋳物の歴史は約960年前に遡るが、菊地保寿堂は初代菊地喜平治が山形城主・最上義光の御用鋳物師として雇い入れられた1604年(慶長9年)を創業の年としている。伝統の継承と時代が求める新しいものの創造に取り組んでおり、米国万国博覧会グランプリ賞受賞(1926)、日本伝統工芸展最高賞受賞2回、日本芸術文化財団褒賞受賞など、数多くの栄誉に輝いている。また、伝統と創造の現代ブランド「WAZUQU」は、2006年に世界最高峰のインテリア見本市「メゾン・エ・オブジェ」への出展を果たし、欧米でも高い評価を得た。

株式会社 菊地保寿堂
代表者:代表取締役 菊地 規泰
創業:慶長9年(1604年)
従業員数:15人
事業内容:工芸鋳物製造業
所在地:工房 山形県山形市鋳物町12番地
TEL:023-643-4554
FAX:023-643-4563
店舗 山形県山形市銅町2丁目23番6号
TEL:023-622-2082
FAX:023-631-8794
URL:http://www.wazuqu.jp/

Categories: 山形の達人

優れた開発力で、
新分野を切り開く


伊藤電子工業株式会社

世界にはばたくメイドイン山形
優れた開発力で、
新分野を切り開く
伊藤電子工業株式会社(寒河江市)

伊藤電子工業株式会社伊藤電子工業株式会社

携帯電話向け小型カメラを製造するモジュール生産ライン(写真左)。モジュール内部の加工(写真中央)。

超小型カメラ(MCU)で世界シェア14%を獲得

寒河江市の中央工業団地の一角にある、伊藤電子工業株式会社は、磁気ヘッドなどの電子機器、PCをはじめとする精密機械の開発・製造を行うメーカー。特に、携帯電話用カメラに内蔵されたMCU(Micro Camera Unit)と呼ばれる超小型カメラの製造で、世界的シェアを獲得しました。カメラを製造するロボット(モジュール)も自社で製造。独自のモジュール構造を開発することで、高品質で高効率の超小型カメラを量産しています。世界シェア14%を達成した2009年には、経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」に選定されました。

携帯電話はもちろん、電子部品や情報機器の市場は常に進化し、スピードアップしています。こうした中、伊藤電子工業は「開発力」を重視、7つある事業部それぞれに開発者を置き、常に新製品や新技術の開発に取り組んでいます。パッケージ生産事業部では塩分濃度測定器や紙幣識別装置など社内で開発した製品を製造ししており、それらに使うプラスチックは社内で成形しております。開発は多岐にわたり、分野もさまざま。自社内で開発した有機ELパネルを用いたサンプルや有機薄膜太陽電池パネルの開発にも取り組んでいます。

さまざまな種類の超小型カメラ。1日におよそ10万個生産される
さまざまな種類の超小型カメラ。1日におよそ10万個生産される
自社開発の印刷エンジンボード
自社開発の印刷エンジンボード
砂の塩分濃度を測定する塩分濃度測定器
砂の塩分濃度を測定する塩分濃度測定器

日本のものづくりの底力を信じる

伊藤電子工業の会社方針は「若い技術者を育成しながら、高付加価値のある製品づくりに独自の開発技術と生産技術力を展開」すること。伊藤勝男社長は「弱体化し倒産していく日本の中小企業が多い中、ここで粘り強く若い人を育てる必要がある」と主張します。弱体化する企業は開発者を育てないのが原因。会社というのは守るものではなく、育てるものだと伊藤社長。

伊藤電子工業が開発と同じくらい大切にしているのが「技術力」です。世界でもトップレベルの技術力を持つ伊藤電子工業には、台湾、韓国、中国、ドイツなどさまざまな国の技術者が研修に訪れます。海外の技術力はまだまだ日本にかなわない、日本のものづくりはそんなに弱いものではない。高級化、高品質化していく製品に対応できるのは、日本の技術力。「一流企業がなかなか手をつけられない分野に、我々のような技術を持った中小企業の生きる道がある。今後は今までの技術を総合して、世界が変わっても、自分たちの商品で、便利で安全安心な世界に寄与していきたい」。伊藤社長はこう考えます。

半導体事業部の検品・検査の様子
半導体事業部の検品・検査の様子
人のため、世の中のためになる技術を発表していきたいと伊藤社長
人のため、世の中のためになる技術を発表していきたいと伊藤社長

若い力を育てていくことの大切さ
伊藤電子工業のある中央工業団地には、100社以上の会社が集積し、その中に寒河江市技術交流プラザという、人材育成や職業能力開発を目的に設立された施設があります。伊藤社長は、プラザを管理・運営する寒河江市技術振興協会の会長を務め、社外でも技術者の育成に注力。「企業は余裕がないと社員に勉強する時間を与えられません。しかし、ようやくいろんな企業が「教育」の大切さに目を向けるようになりました。寒河江市は異業種の企業がたくさん集まる地域です。この中から新しいものが生まれると期待しています。プラザでは産学官連携で6次産業の研究をはじめました。当社も工業部門で参加しています」。
創業当初から開発と研究にとりくみ、世界レベルの技術を育ててきた伊藤社長。「社員みんなが開発者でなければいけない」と考え、社員を「頭脳集積集団」と表現します。その精神は社員一人ひとりがしっかりと受け継ぎ、多くの開発品を世の中に送り込んでいるようです。
社内にディスプレイされた開発製品の一例
社内にディスプレイされた開発製品の一例
平成5年に完成した寒河江市技術交流プラザ。ものづくりの講座や研修、講演会などを開催している
平成5年に完成した寒河江市技術交流プラザ。ものづくりの講座や研修、講演会などを開催している

(2012/10/24取材)

伊藤電子工業株式会社

伊藤電子工業株式会社
通信機器および光学系を含む精密機器の製造を得意とし、製品の設計から評価・部材の調達、製造・出荷まで一貫した生産体制を持つ。工程設計の中に自動機の製作を含み、生産効率向上と品質確保を提供。東京ドーム一個分の広い敷地に7つの事業部棟があり、それぞれの分野で開発・設計を行っている。
代表者:代表取締役社長 伊藤勝男
創業:1964年6月
従業員数:317名
事業内容:パッケージ生産事業部、開発機器生産事業部、ディスプレイ製造事業部、繊維材事業部、電気通信生産事業部、成形事業、半導体事業部
     
所在地:山形県寒河江市中央工業団地158-15
TEL:0237-86-1111
FAX:0237-86-1004
URL:http://www.ito-denshi.co.jp/

株式会社エスプレモ

結城 悟さん

コンピュータを通して
現場が見えてくる。
工場管理の立場で、大好きな
『ものづくり』をサポート。
株式会社エスプレモ(山形市)

ものづくり企業が多く集積する山形県には、昔から続く地元創業の企業も少なくありません。株式会社エスプレモもその一つ。小型精密モータの開発から設計、製造・販売まで手がけ、着々と業績を伸ばしてきました。工場全般の管理を担当する結城悟さんは、入社して間もないながらも、会社の重要な役割を任され、奮闘する毎日を送っています。

結城 悟さん

プロフィール
結城 悟 さん

 

昭和42年生まれ
宮城県白石市出身
山形大学工学部精密工学科卒業
1990年宮城県のOAメーカ関連会社に入社
所属事業部の再編に伴い2011年に退職
翌2012年、株式会社エスプレモ入社

入社の動機、きっかけは?

大学を卒業後、OAメーカーに就職し、バーコード機械の開発・設計を担当していました。その後営業部に配属になり、商品企画や事業企画などの仕事にも携わるようになっていきましたが、やはり「ものづくり」に関わる仕事がしたい、という思いがあって。作業服を着て、現場の人間と切磋琢磨しながら製品をつくりあげていくのが好きなんです。

具体的な仕事内容を教えてください。

工場全般の管理をしています。当社は主に暖房機や農業機具などに取り付ける小型モータの製造を手がけ、250~300種類ぐらいの製品があります。オーダーメイドがほとんどなので、少ロット多品種に対応できるような管理システムを立ち上げている最中です。もともとバーコードの開発をしていたので、在庫管理は得意中の得意。工場の仲間と相談し、知恵を貰ったりしながらシステムづくりをしています。大きい会社ではないので、忙しくなったら現場を手伝うこともありますし、必要な冶具(じぐ)を作ったりもする。新しい冶具で時間が短縮されると社長に報告したりなど。いろんな経験ができ、楽しみもあります。

入社して苦労したことは?

最初の1ヶ月は、何も分からなくてドキドキしていました。他の社員の方が、どんなスキルを持っているかわからないし、相手も自分がどんなスキルを持っているかわからない。お互い手探り状態。コミュニケーションをとりながら情報を得て、2ヶ月ぐらい経ち、やっと会社のやり方や自分の立場が見えてくるようになりました。

玄関ロビーに展示された製品。電動自動車のモータも手がける
玄関ロビーに展示された製品。電動自動車のモータも手がける
エスプレモが製造する小型モータの一例
エスプレモが製造する小型モータの一例

結城 悟さん
影響を受けた上司や先輩の話を教えてください。

鈴木社長からよく言われるのが「定量的な表現」をすることです。単に「よくなりました」ではなくて、「今まで90秒かかっていたのが、60秒になり30秒の短縮になりました」と報告する。「追って報告します」ではなく「○○までに報告します」と、具体的な数量や日時で言うように指導されました。鈴木社長は今まで経験した会社の中で、一番徹底しています。とても大切なことだと実感していますね。

この仕事に適性を感じるのは自分のどんな部分ですか。

管理や計画の仕事をしていますが、真面目な性格と、管理する対象が「もの」なので性に合っているのかもしれません。力がぐっと入ります。小さい頃から工作や機械が好きで、基本的にものづくりが好きなんです。

この仕事の一番大変な部分、やりがいを感じる部分は?

製造業は終わりなきQCD(Quality=品質、Cost=価格、Delivery=納期)の追求。難しい注文やテーマに取り組まなければならない時もあります。品質、価格、納期すべての目標が高いところにありますが、それに向かっていくところが大変でもあり、やりがいでもあります。常に新しいことにチャレンジしないと廃れてしまいますので。正直くじけそうになる時もありますが、そんな時は会社の窓から蔵王の山々を眺めたり、休みに気分転換をしてモチベーションを高めて取り組むようにします。

「コンピュータを通して現場のものづくりが見えてくる」と結城さん
「コンピュータを通して現場のものづくりが見えてくる」と結城さん

結城 悟さん
大事にしていること、モットーについて。

社員の心得に「やれない理由を並べずに、どうすれば出来るか常に考える」という言葉があります。私はこの言葉が好きで、自分のポリシーにもしています。やってやるぞ、という気概と強い意志、これを大切にしたい。やり遂げれば達成感と自信が得られ、苦労を一緒に乗り越えた仲間とのコミュニケーションも密になります。

今後の目標は。

エコ化や省力化が進み、よりクリーンなデバイスが求められる今、小型モータの需要はますます増えると考えています。自分の培った技術を磨き時代を先取りする「創造力」で、魅力的な商品を世の中に提供していきたいです。

若者へのメッセージをお願いします。

今、日本の製造業が空洞化し大変だと言われていますが、高い技術と創造力でユニークな商品をつくっているメーカーは沢山あります。好きこそものの上手なれ、といいますが、好きな分野でキャリアを積むことほど職業人として幸せなことはありません。工作や機械が好きな若者は今でもたくさんいると思うので、目先の将来性よりも、自分のやりたいことを第一に考えて、社会に飛び込んでみるといいと思います。

各担当者とも話し合いながら決めていく
各担当者とも話し合いながら決めていく

入社して2ヶ月と思えないほど、会社に馴染み、会社のことを深く考えている結城さん。
「ものづくり」に対する愛情もひしひしと伝わってきました。結城さんのような強い信念をもつ若い力が牽引となり、日本の製造業をもっともっと元気にしてれることでしょう。

(2012/12/18取材)

株式会社 エスプレモ

山形の産業集積地の一つ、西部工業団地に建つデバイスメーカー。小型精密モータの開発設計から生産プロセスまで、時代の流れに合った製品を提供。同社の製品は暖房機器の送風用や工作機械のポンプなど、工業や農業はもちろん娯楽分野まで幅広く使われている。

株式会社エスプレモ
代表者:代表取締役 鈴木 晋
創立:1965年12月
従業員数:35名
事業内容:小型精密モータの製造、販売
所在地:山形県山形市鋳物町31
TEL:023-643-5615
FAX:023-643-6308
URL:http://www.esco-net.co.jp/s-premo/

仏壇の達人


齋藤義孝さん

仏壇の達人 齋藤義孝さん
(山形県卓越技能者表彰受賞/平成25年度)

昭和16年生まれ。中学卒業後、木地師の父の下で働き、山形仏壇の伝統的製作技術を習得する。平成11年伝統工芸士に認定。平成16年東北経済産業局長賞、平成21年山形市伝統的工芸品産業技術功労者褒賞を受賞。堅さや木目の扱いが難しい欅材を使った仏壇木地を得意とし、その優れた技術は県内外で高く評価されている。山形県仏壇商工業協同組合理事。

7つの工程を経てつくられる山形仏壇 その大事な本体づくりを担う
木地と呼ばれる仏壇の本体。欅の木目が美しい
木地と呼ばれる仏壇の本体。欅の木目が美しい

全国の仏壇産地の中でも最北にある山形仏壇。荘厳で堅牢な中に、木の温もりを感じられるのが特徴で、名古屋仏壇や京仏壇のような派手さや華やかさはありませんが、すっきりとした美しさがあります。江戸中期発祥の山形仏壇は、7つの工程を経て完成する分業制。順に、仏壇本体を製作する「木地(きじ)」、内陣に置く宮殿を製作する「宮殿(くうでん)」、欄干や柱を飾る「彫刻」、錺(かざり)金具を製作する「金具」、本体に漆を塗る「塗装」、漆で図柄を書き、金銀粉を蒔く「蒔絵」、金箔を貼り、組立てる「箔押・仕組」といいます。各工程に専門の職人がおり、齋藤義孝さんは、最初の工程「木地」部門を担当する「木地師」としてその腕を振るっています。

齋藤さん手作りの杖木。仏壇ごとに杖木をつくる
齋藤さん手作りの杖木。仏壇ごとに杖木をつくる
須弥壇につけられたほぞ。ほぞ穴を合わせて組み立てる
須弥壇につけられたほぞ。ほぞ穴を合わせて組み立てる
齋藤義孝さん

さまざまな定規や設計図は不要 一本の物差しだけで精密に仕上げる
齋藤さんがつくった宮殿と内陣の天井。肘木桝組も見事
齋藤さんがつくった宮殿と内陣の天井。肘木桝組も見事

木地づくりは、金具や蒔絵のような派手さはありませんが、山形仏壇の本体となる肝心要の部分。山形仏壇の特徴である木の温かみを出す工程でもあり、いかにしっかり作るかで全体の美しさが左右されます。緻密な計算が必要な作業ですが、齋藤さんの作る仏壇に設計図はありません。最初に簡単なイメージ図を書き、あとは杖木(じょうぎ)と呼ばれる手作りの物差しだけで寸法を測り、すべての部材を切り出します。

山形仏壇は釘を一本も使わない「ほぞ組み」の構造。ほぞとほぞ穴の位置がぴったり合わなければ成り立ちませんが、齋藤さんのつくる部材の寸法は、設計図がなくとも常に一致。長年の経験と修業がなせる技です。「宮殿の桝組を覚えないと木地づくりがうまくいかない」と、宮殿や彫刻を手がけることがあるそうです。ひとつひとつ丁寧につくり組んでいく宮殿の細やかな作業、花や鳥などを描く芸術性の高い彫刻の作業は、どれも木地師を極めるために覚え、習得されました。

15歳の時、父親に弟子入り
着実に技を習得し、数々の表彰を受ける
小さいサイズの山形仏壇。彫刻もすべて齋藤さん作
小さいサイズの山形仏壇。彫刻もすべて齋藤さん作

齋藤さんは15歳の時、同じく木地師だった父義蔵さんに師事し、多くのお弟子さんたちと切磋琢磨しながら技を磨いていきました。平成11年には伝統工芸士に認定、木地を手がけた製品は全国仏壇仏具連合会長賞、中小企業庁長官賞、東北経済産業局長賞、山形県知事賞、山形市長賞など数々の賞を受けています。

齋藤さんの技術に惚れ込んだのは、国や県、市だけではありません。お客さんはもちろん、長年お付き合いのある仏壇・仏具の専門店「小嶋源五郎」さんは、齋藤さんの腕に絶大な信頼を寄せています。「齋藤さんの作る仏壇はとにかくきれい。細かい部分はもちろん、見えないところも、すべてにおいてきれいです。安心してお願いできます」と営業の桑原史成さん。しかも「お店に出すと必ず売れる」のだそうです。

欅の木目
「ノミも曲がるほど堅い」と言われる欅は、木目の扱いも難しい。しかし齋藤さんは欅の木目を見事に美しく使う。本漆を塗っても引き立つ「木目だし」は、山形仏壇の特徴
「ノミも曲がるほど堅い」と言われる欅は、木目の扱いも難しい。しかし齋藤さんは欅の木目を見事に美しく使う。本漆を塗っても引き立つ「木目だし」は、山形仏壇の特徴
 ノミやカンナを何十種類と使い分け、細部や曲線を緻密に表現
ノミやカンナを何十種類と使い分け、細部や曲線を緻密に表現
細部や曲線
作業場にびっしりと置かれたカンナの数々
作業場にびっしりと置かれたカンナの数々

新しいデザインを取り入れ、今までにない山形仏壇を目指す
各地の工芸品が集まる展示会で、いろんな職人さんと会って話をするのが楽しみだという
各地の工芸品が集まる展示会で、いろんな職人さんと会って話をするのが楽しみだという

昨今のライフスタイルの変化もあり、高額な仏壇はなかなか買い求める人が減っています。齋藤さんはそんな中、試行錯誤し、新しいデザインを取り入れた山形仏壇づくりに励んでいます。従来の山形仏壇と違ったつくりに疑問の声を挙げる人もいるそうですが、実際にその仏壇を買い求める人がいるのも事実。これからの目標は「伝統だけに拘らす、工夫して、売れるような山形仏壇をつくっていくこと」。その夢は着実に現実へと向かっているようです。

仕事の本当の面白さは10年続けないとわからない
齋藤さんが手がけた山形仏壇の完成品(協力:小嶋源五郎本店)
齋藤さんが手がけた山形仏壇の完成品(協力:小嶋源五郎本店)

現在は仏壇以外にも、神輿の修理や稲荷神社の製作なども手がけています。仏壇ばかりつくっていた昔より、仕事をしていて楽しいそうです。修理が難しいとされるお寺の大きな木魚の補修も引き受け、忙しいながらも楽しい毎日を送っています。なんでもこなせるのは、裏付けとなるしっかりした技術を持っているから。

仏壇職人を目指す若者もいましたが、なかなか続かなかったといいます。「どんな仕事もですが、10年は頑張って続けた方がいい。それぐらい続ける根性がないと何をするにしても大変だと思う。10年もすれば仕事の面白さがわかってきますから」。 71歳になった現在でも、現役でありつづける活気。やわらかい物腰の中に感じさせる高い志と強い精神力。「真の職人」というのは齋藤さんのような人を言うのでしょう。

(2012/10/26取材)

斎藤仏壇仏具製作所

経済産業大臣指定伝統的工芸品「山形仏壇」の木地を製作。木地づくりの製作期間は、小さいもので約10日、大きいものは約1ヶ月を要する。齋藤さんは隔年開催の「全国伝統的工芸品仏壇仏具展」に出品する仏壇の木地を担当し、受賞歴多数。最近では大震災で壊れた宮城県亘理町の神輿(6尺)の修理も手がけた。

斎藤仏壇仏具製作所
代表者:齋藤義孝
創業:昭和16年
事業内容:仏壇、仏具、寺院須弥壇、施餓鬼壇等の製作、修理
所在地:山形県山形市旅篭町1-5-3
TEL:023-622-4899

Categories: 山形の達人

本場欧州も注目する
謹製誂靴


宮城興業株式会社

世界にはばたくメイドイン山形
本場欧州も注目する謹製誂靴
宮城興業株式会社(南陽市)

「Goodyear Welted」製法にこだわり、200を超える工程を経て完成した靴(写真左)と、足にフィットさせるために靴作りには欠かせない木型(写真右)

量産と品質追究の狭間で

宮城興業株式会社には、戦時下において軍靴製造業としてスタートしたという時代的背景がありますが、その後もたびたび時代の流れに翻弄されてきた観があります。
創業以来、一貫して「Goodyear Welted(グッドイヤーウエルト)」という製法にこだわり、選び抜かれた素材と磨き抜かれた技術で良靴を作り続けているにもかかわらず、靴を取り巻く 市場環境が時代とともに大きく変化を遂げていったのです。高度成長期やバブル期など、いいものを作っていれば高くても売れた時代は良かったのですが、オイルショック時やバブル崩壊後には、薄利多売の量産型が主流となり、生産現場は海外へと移されていきました。特に近年は、中国の台頭が著しく、海外依存の割合は増すばかり。宮城興業もまた生き残りをかけて二者択一を迫られました。地元の工場を閉鎖し生産拠点を中国に移すか、国内製造にこだわって付加価値を見 いだしていくか。選んだ道は後者でした。量産よりも多品種少量生産にウエイトを置き、競争相手がいなくなるくらいの小ロットにも対応していったといいます。
その延長上に築き上げたシステム、それがオリジナルカスタムメイドシューズ「謹製誂靴・和創良靴」ブランドです。ヒントとなったのは紳士服のイージーオーダー。型見本から選ぶ、オーダーメイドと既製服の中間に存在する日本ならではの簡易的なあつらえシステムで、これを靴でも出来ないかと考えたのです。 スーツも靴もヨーロッパ発祥の文化、スーツ同様に靴もイージーオーダーというシステムであれば日本人にも受け入れられやすく、定着していく可能性は高いの ではないだろうか、と。

さまざまな工程を経て仕上げられる靴。
さまざまな工程を経て仕上げられる靴。
オリジナルカスタムメイドシューズも量産品もまったく同じ工程
オリジナルカスタムメイドシューズも量産品もまったく同じ工程
パーツの種類、ロットの大小によってさまざまな方法で裁断される
パーツの種類、ロットの大小によってさまざまな方法で裁断される

履き心地の満足度高く、すでに海外進出も

“足は第二の心臓”といわれるほど大切な部分であるにもかかわらず、足にあった靴というより足を靴に合わせて履いている人のなんと多いことでしょう。ただ、足にぴったり合った靴に出会うことは非常に難しく、高額なオーダーメイドでも一足目から満足のいく履き心地が得られるとは限らないといいます。

そこで、宮城興業ではあえてゼロから完璧をつくり出すことを目指すより、豊富なバリエーションの中から、お客さまにベストのものをチョイスするというやり方の方が合理的と考えました。100通り以上のサンプルの中から足長・足巾に合ったサイズのものを数足フィッティングし、さらにピンポイントで微調整を行い、ベストフィッティングを目指します。デザインについては、時代性を意識しながらも飽きのこないオーソドックスなものを豊富にラインナップ。素材についても長年の経験で選び抜ぬいた上質の皮革を使用。ソールの張り替えやリペア対応まで万全。長年にわたって愛用できる靴、本場ヨーロッパのオーダーメードシューズをも凌ぐ履き心地をよりリーズナブルな価格で実現しています。

このシステムの場合、お客さまと直接対面し、足の状態や好みなどを把握した上で販売することが絶対条件と考え、全国展開にあたっては信頼の置ける取扱店のみでの販売としました。現在、取扱店は全国で約170店舗。また、海外でもその高いクオリティとリーズナブルな価格が評価され、すでにニューヨークと中国にも取扱店が誕生しています。さらに、本場ヨーロッパの展示会でも「オーダーメイドにしてはとてもリーズナブルだね!」との評価を得たといいますから、欧州進出もそう遠い話ではないかもしれません。

大小さまざま、膨大な木型をストック。中には有名スポーツ選手の木型も
大小さまざま、膨大な木型をストック。中には有名スポーツ選手の木型も
オリジナルカスタムメイドシューズ。左は外国からのオーダー品でサイズは34cm
オリジナルカスタムメイドシューズ。左は外国からのオーダー品でサイズは34cm
オーダーメイドにしてはとてもリーズナブル」と好感触。
オーダーメイドにしてはとてもリーズナブル」と好感触
ミラノで開催された展示会MICAM(ミカム)の全景
ミラノで開催された展示会MICAM(ミカム)の全景
宮城興業のブースと商談風景。
宮城興業のブースと商談風景。

靴作りの今後と、その魅力とは。

高い技術力が求められるグッドイヤーウエルト製法による靴作り。
宮城興業においても人材の確保は最重要課題の一つ。ところが、近年は靴作りに挑戦する教室が盛況だったり、本場英国に留学をする人がいたりと靴作りが密かなブーム。そうした世相を受けて、宮城興業には全国各地から15名もの研修生が集まり、働きながら靴作りを学んでいます。確かに、一度自分で作った靴を履くという経験をすると、その高いフィット感と満足感からやみつきになる人も少なくないのだそうです。今後、自分で靴を作るまではいかないまでも、自分によりフィットする靴、履き心地の快適な靴を求める人が増えていくことになれば、日本の靴文化は大きく前進していくのではないでしょうか。
その時、宮城興業の技術力とノウハウがものをいい、本場ヨーロッパ諸国の靴作りにも影響を与えるかもしれません。「謹製誂靴・和創良靴」、靴作りという工業系とは一線を画した分野においても”ものづくり山形”の本領発揮です。

靴作りの醍醐味について語る高橋和義社長
靴作りの醍醐味について語る高橋和義社長
(2009/9/8取材)

宮城興業株式会社

宮城興業株式会社
宮城興業は、1941年に仙台市で軍靴製造業としてスタートし、終戦の1945年に現在地に移転。英国A.BARKER社と技術提携をするなど、つねに技術の向上と蓄積に努めてきた。2004年にはその集大成ともいえるユーザーが設計する靴、「謹製誂靴・オリジナルカスタムメイドシューズシステム」を確立。リーズナブルな価格で限りなくオーダーメイドに近い完成度の靴を提供できるようになった。国内に170店舗の取扱店を有し、ニューヨーク、中国にも進出。社屋入り口にはショールーム兼ショップ「シューズハウス・タフ」がある。
代表者:代表取締役 高橋 和義
創業:1941年9月(設立/1952年)
従業員数:80名
事業内容:革靴製造業
所在地:山形県南陽市宮内2200
TEL:0238-47-3155
FAX:0238-45-3015
URL:http://www.miyagikogyo.co.jp/

平田牧場グループ/株式会社平牧工房

五十嵐悌一さん

消費者の声に耳を傾け、
現状に満足することなく
さらなる安心とおいしさを
探求する。
平田牧場グループ/株式会社平牧工房
(酒田市)

平田牧場グループは、豚肉の生産から加工・流通・販売、さらには外食事業にいたるまで自社で一貫して取り組む、国内では他に類を見ない企業展開を行っています。その加工本部としてハム・ソーセージなどの製造にあたっているのが「平牧工房」です。平牧工房は今から30数年前、日本初と言われる化学合成食品添加物を一切使用しないソーセージの開発にチャレンジした会社ですが、五十嵐さんはその歴史ある商品開発課の課長として、安全・安心のおいしさ追究を日々続けています。

五十嵐悌一さん

プロフィール
五十嵐 悌一 さん

昭和43年生まれ。
山形県鶴岡市出身。
北里大学獣医畜産学部卒業。
1993年株式会社太陽食品(現・平牧工房)入社。

1995年 2年間の現場作業経験を経て商品開発課へ。5年ほど前から開発現場の責任者となり、現在に至る。

入社の動機、きっかけは?

出身は鶴岡市大山で、大学は畜産学科を卒業しました。その経歴を生かせる仕事を地元庄内地方で探していたところ、当時は「太陽食品」という名称だった、この「平牧工房」に出会いました。人間の営みに欠かせない衣食住、いずれかにかかわる仕事がしたいと思っていたので希望がかなった感じでしたね。

具体的な仕事内容を教えてください。

入社して2年間ぐらいは現場研修ということで、ひたすら現場でハムやソーセージを作っていました。その後は、商品開発課で新商品のレシピを作り、試作を経て現場スタッフへの指示や指導にあたっています。また、首都圏をはじめいろいろなところを飛び回って消費者との交流会に出席するのも重要な仕事のひとつ。生協の中でも特に消費者意識の高い「生活クラブ」と産直提携をしているので、商品を作っている者として具体的に原料から間違いのないものを使っているという説明に回っています。その際には、消費者からの反応や要望などもしっかり聞き取りしてくるようにしています。
つまり、食べる人の顔を見ながら作っているというわけですね。もちろん、一般市場に出回っている商品もいろいろありますが、そのうちの8割から9割は何らかのカタチで私が開発に携わっています。そして、ここ5~6年前からは開発現場における実質的な責任者をやらせてもらっています。

この仕事のどこに魅力ややりがいを感じますか。

豚の品種開発から生産・加工、流通管理まですべて自社で行うという、かなり特殊な企業形態をとっているという点で、まず誇りを持って仕事をすることが出来ています。特に、食肉分野はいまや日本でも有数のブランドとして評価をいただいていてとても有り難い話です。これまでさまざまな商品開発に携わってきましたが、もっとも誇らしく思えるのはなんといっても無添加のハム・ソーセージ作りのパイオニアということでしょうか。「無添加のソーセージが食べたい」という消費者の声を受けて、30数年前から挑戦がはじまって9年後にようやく完成にこぎ着けたという超ロングランの商品開発。それまでだれもやったことがなかった添加物を加えない無着色のソーセージを作った当時の先輩の努力や技術力はまさに想像を絶します。

先輩が切り開いた歴史を受け継ぐ者として、やりがいとともに重責を感じます。それと、ヨーロッパで暮らしていた経験もある県出身の某著名人が、私の作った生サラミを食べて「日本で初めて本当のサラミを食べた」と言っていたという話を聞いたときは実にうれしかったですね。

保存料や着色料などを一切使用しない無着色のソーセージの加工風景
保存料や着色料などを一切使用しない無着色のソーセージの加工風景
 消費者の要望に応えて、17年の歳月を経て開発に成功した無添加ソーセージ
消費者の要望に応えて、17年の歳月を経て開発に成功した無添加ソーセージ

逆に、いちばん大変だと思うことは何ですか?

不要な添加物を使わないなど、徹底した品質追究によって「平田牧場なら安心。」という信頼を得てきていますから、受け継いだものをさらに進化させて次に伝えていかなくてはいけないという使命感、それはある意味すごいプレッシャーですね。生産から食肉加工・販売まで一貫して自社でやっていて生産履歴がハッキリしているわけですから、そのメリットをどれだけ商品に反映できるかという課題もあれば、豚の部位を必要に応じて指定して輸入・購入する加工場と違って、自社の生産状況に合わせた加工体制をとっていく臨機応変さも求められます。
また、「生活クラブ」に提供している商品は、消費者の要望ありきで開発がスタートすることが多いので品質・納期などの条件面はいっそうシビアでとても大変な仕事ではありますね。

無添加のハム・ソーセージにはより厳しい衛生管理が求められる
無添加のハム・ソーセージにはより厳しい衛生管理が求められる

この仕事に適性を感じる点は?

自分がこの仕事に向いていると思ったことは一度もないですよ。そう思ってしまうときっとあぐらをかいてしまうでしょう。大学で畜産を学んできたと言っても直接仕事に役立っているとは思えないし、会社に入ってから身につけたことの方が断然大きいですからね。この仕事が自分に合っているという思いは一切なくて、評価するのは食べる人、自己満足になってはいけないと肝に銘じています。

半年間寝かせたプロシュート。触って状態を確認し、出荷時期を決める
半年間寝かせたプロシュート。触って状態を確認し、出荷時期を決める

この仕事に取り組む上でモットーとしていることは?

思い込まないこと。凝り固まってしまうと新しいものが生み出せません。日々新しいことを追究しなければならないので物事を客観的に見るようにしています。会社に入る前までは、ハム・ソーセージの味の違いなどまったくわかりませんでしたが、意識して食べるようになって中身がわかってきて、気づくことも多くなりました。添加物などが入った加工品もいろいろ食べてみて、どれが本当の味なのかを自身の味覚で確かめるようにしています。試作や試食を繰り返し出来上がった新しい商品のレシピを工場に渡して指示する際にはつねに「ごまかさないこと」の重要性を説いて徹底させています。

部下や後輩としては、どんな人材が望ましいですか。

この仕事をやりたいと思う心があって真面目な人。ある程度のところで妥協してしまうとそれまでのことしかできないと思うので現状に満足しない人というのも大事ですね。でも、それ以前の人柄として、新しい環境に入ったら素直に人の話が聞けるということ。仕事を覚えるまでは、言い方は悪いけど、なんでも鵜呑みに出来る人。自分が自分がという主張は吸収の邪魔、仕事を覚える邪魔になると考えています。まず、いろんなことを鵜呑みにして、その次の段階として自分を出してくれればいいと思っています。それと多少の手先の器用さがあればなおいいといったところでしょうか。

終始にこやかながら、ハム・ソーセージ作りに関しては妥協を許さない一途な思いを語る五十嵐さん
終始にこやかながら、ハム・ソーセージ作りに関しては妥協を許さない一途な思いを語る五十嵐さん

今後やってみたいこと。

マーケティング担当者からの要求があればなんでも作る。そんな意気込みで取り組んでいます。消費者が求める味や品質をどうしたら実現できるかを真剣に考えるのが私の仕事ですから。平田牧場が生産する豚は年間20万頭と決まってはいますが、それは年間を通して出荷数が一定ということではありません。日々の出荷状況に合わせて調整し、余すことなく有効に使い切る工夫をしています。加工部門を持っていればこその強みと価値をわかってもらえるように商品展開やアピールもしていきたいと考えています。

平田牧場本店で販売されている加工食品ラインナップの一例
平田牧場本店で販売されている加工食品ラインナップの一例

終始、謙虚な受け答えが印象的だった五十嵐さん。直接、消費者の口に入る商品を作っているということで、つねに緊張感を持って仕事に臨んでいる姿勢が窺えました。高品質のハムやソーセージなど、消費者の健康に貢献する商品として好評を得ながらも現状に甘んじることなく、日々研究と試作に取り組む誠実な人柄。消費者の次なる要求にもさらなる努力で応えてくれることでしょう。

(2009/9/11取材)

株式会社 平田牧場

生産・加工・流通・販売、自社一貫システムならではの徹底管理で「おいしく・安心・安全・高品質」を実践している。食料自給率や環境問題についても真剣に受け止め、稲作農家と提携し、減反田に作付けした飼料用米をトウモロコシの代替飼料として利用するなどの取り組みを行っている。

株式会社平田牧場
代表者:代表取締役社長 新田 嘉七
創立:1964年12月
従業員数:620名
事業内容:畜肉(豚・牛)生産・食肉加工・販売・外食等
所在地:山形県酒田市みずほ2-17-8
TEL:0234-22-8612
FAX:0234-22-8603
URL:http://www.hiraboku.com/

Categories: プロフェッショナルへの道

味噌づくりの達人


花角圭一さん

味噌づくりの達人 花角圭一さん
昭和34年生まれ。味噌醸造元の長男としてごく自然に後継者の道を選ぶ。昭和56年に東京農業大学の醸造科学科を卒業。父親である5代目のもとで味噌造りに精進し、7年前に6代目として社長に就任。日々、伝統の味を守りながらも、フリーズドライ商品やみそ味のお菓子など、味噌の新たな可能性にも挑戦し続けている。

創業150年以上の歴史ある醸造元、
味噌への愛情を商品に込めて。
お殿様から授かった「カクリキ」印が刻まれた母屋の鬼瓦。
お殿様から授かった「カクリキ」印が刻まれた母屋の鬼瓦。

株式会社花角味噌醸造は、2007年に創業150年を迎えました。安政4年(1857年)に初代花角喜兵衛が、花印味噌・醤油の醸造を開始し、広く販売するようになったのが始まりです。商標の「カクリキ」は、花角家の先祖がお殿様に力自慢を賞賛され、桝の中に「力(ちから)」と書いた印を授けられたことに因みます。代々受け継がれてきた伝統的な味噌づくりを継承しながらも、新商品の開発にも果敢に挑戦。時代に合ったおいしさを追求し、多彩な商品展開で食卓に豊かな香りを届け続けています。

澄んだ空気、きれいな水、昼夜の寒暖差
城下町米沢の豊かな自然が味の決め手
大釜で大豆を炊く工程。この炊き加減も味噌の出来映えを大きく左右する
大釜で大豆を炊く工程。この炊き加減も味噌の出来映えを大きく左右する

花角家の先祖一族は清酒や酢の醸造元として上杉藩に仕えていました。新潟・会津を経て移り住んだ米沢は、澄んだ空気と吾妻山系のきれいな水、そして良質な穀物に恵まれた土地。気候変化が激しく、昼夜の寒暖差が大きいことも味噌づくりには適していたのでしょう。花角家が自家用に作っていた味噌がうまいと評判になり、本格的に製造、販売を始めることになったのです。
その5代目醸造元の長男、一人息子として生まれた花角圭一さんは、ごく自然に後継者としての自覚を持ち、大学進学の際にも迷わず日本で唯一、醸造科学科のある東京農大を選択したのでした。現在、会長職にある父の喜次郎さんは、若い頃から長きにわたって味噌づくりの最前線に立ってきた豊富な経験の持ち主。喜次郎さんも圭一さんもみそ製造技能士1級、有する資格は同じでも味噌づくりに対する思いはまだまだかなわないと、圭一さんは要所要所で喜次郎さんにアドバイスを求めるといいます。

大釜で大豆を炊く工程
発酵熟成
 米麹と大豆を合わせて、さらに食塩を加える仕込み段階。その後、3~35カ月ほど木桶に寝かせて発酵熟成させる
米麹と大豆を合わせて、さらに食塩を加える仕込み段階。その後、3~35カ月ほど木桶に寝かせて発酵熟成させる
包装を待つばかりの完成品にも厳しい目を向ける
包装を待つばかりの完成品にも厳しい目を向ける

“味噌は引き立て役”を鉄則に
「飽きのこない味」を追究し続ける
発酵が命の味噌づくり。厳しい眼差しで発酵管理にあたる圭一さん
発酵が命の味噌づくり。厳しい眼差しで発酵管理にあたる圭一さん

味噌の原料は、米と大豆と食塩。米から米麹を作り、大豆と合わせて食塩を加えて発酵させるといういたってシンプルな工程。それだけに、非常に細やかな気配りが求められます。気温や湿度、その他さまざまな環境変化を総合すると一日として同じ日はなく、こうすれば100%大丈夫といった法則は存在しません。花角醸造では、こうじ味噌、長熟成味噌など、年に一度だけ仕込むものも加えれば約40種類もの味噌を製造しており、いっそう細やかな気配りが求められることになります。
多彩な商品展開をしている「カクリキみそ」ですが、全商品に貫かれているコンセプトは、“個性を出さず、具材を引き立てる飽きのこない味”であること。圭一さんは、毎食、シンプルな具材の味噌汁を食し、その日の天候などを意識しながら味噌の味を確認することを日課としています。微妙な味の違いや変化に敏感でいるために刺激の強い物や化学系の調味料はなるべく口にしないのだそうです。

味噌文化を広めるための商品開発や
食育、味噌づくり講座による地域貢献

昔ながらの味噌のほか、フリーズドライ味噌汁やみそ味のキャラメル、せんべいなど、ユニークな商品づくりにも力を入れている圭一さん。味噌のおいしさをもっと手軽により多くの人に味わってもらいたい、そんな気持ちが新たな商品を生み出し、味噌づくり講座といった地域活動に励む原動力にもなっているようです。さらに今後は、手づくり味噌とはどんなものなのかをわかってもらう努力が必要と、食育活動などを通じて子どもたちの味覚をしっかり育て、味噌の味のわかる大人になってもらいたいと願っています。
「醤油はすでに世界の調味料になっているのに味噌はまだ」と、認定試験に合格し第1期の味噌ソムリエとなった圭一さんは少し口惜しそうです。これからもさまざまな取り組みを通して日本の食文化には欠かせない味噌の魅力を発信し、巻き返しを図っていくのではないでしょうか。

豊富な商品群の中の一部。味噌のおいしさをさまざまなスタイルで提案
豊富な商品群の中の一部。味噌のおいしさをさまざまなスタイルで提案
花角圭一さん
(2009/10/26取材)

株式会社 花角味噌醸造

株式会社 花角味噌醸造

花角味噌醸造は、上杉の城下町・米沢で安政年間より醸造業を営む創業150年以上の老舗。当初は主に酢の醸造を手掛けていたが、その後、味噌がおいしいと評判になり、花印味噌として本格的に製造、販売を始めることになった。巨大な味噌桶の看板が印象的な店舗は、伝統的な町屋形式の佇まいを今に伝える建造物として平成20年に「米沢市景観賞残したい建物部門」を受賞。素朴で懐かしい味噌の香りとも相まって訪れる人々をあたたかく迎え入れている。

株式会社 花角味噌醸造
代表者:代表取締役社長 花角 圭一
創業:安政4年(1857年)
従業員数:10人
事業内容:味噌・こうじ・関連商品の製造、味噌・漬物・醤油・こうじ・味噌加工品・関連食品の販売
所在地:山形県米沢市大町一丁目2-23
TEL:0238-23-0641
FAX:0238-23-0683
URL:http://www.kakurikimiso.com

Categories: 山形の達人

世界が求め続ける
良質低価格品


山形クラッチ株式会社

世界にはばたくメイドイン山形
世界が求め続ける
良質低価格品
山形クラッチ株式会社(鶴岡市)

クラッチカバーとクラッチディスク さまざまな製造ニーズに対応

山形クラッチの主要製品であるクラッチカバーとクラッチディスク。
軽自動車から大型車両まで、約400種類ものクラッチが製造されている。

幅広い守備範囲でクラッチ需要をカバー

山形クラッチ株式会社は、その社名が示す通り自動車のクラッチ製造をメインとする企業です。1973年に自動車用クラッチのOEMメーカー(発注元のブランド名で販売される製品を製造する企業)として誕生し、以来、ここで製造されているクラッチは世界の自動車市場に供給されています。クラッチとは、エンジンとトランスミッションの間に位置し、エンジンの回転をトランスミッションに伝えたり、遮断したりすることによって、発進、停止、変速といった自動車の性能を担う装置。山形クラッチでは、さまざまな車両に応じたクラッチを開発・設計・製造まで一貫して行い、純正品と同品質のものをより安価に提供することで信頼を得ています。

しかし、近年ではオートマチック車の著しい普及に伴い、一般的には“クラッチ”という言葉を耳にする機会も少なくなりました。現在および将来的なクラッチ需要はどうなのかといった素朴な疑問を投げかけてみると、「会社が設立した昭和48年にはすでにオートマチック車の普及は始まっていました。当社のクラッチは「アフターマーケット品」と呼ばれる修理用が主流で、昭和40年代の自動車も守備範囲にしていますから、こだわりの愛車に乗り続けている方などから需要の継続はありますね」と、業務グループマネージャーの佐藤和裕さん。しかも、日本の自動車のエンジンはとても丈夫で、廃車後も東南アジア等で作業機械のエンジンとして活用され続けるというケースもあり、そのエンジンに付随するクラッチの交換という需要が生まれるわけです。

業務グループマネージャーの佐藤和裕さん
会社の案内、説明をしてくれた業務グループマネージャーの佐藤和裕さん
クラッチディスクとクラッチディスクの製造ライン

技術と設備を生かして時代のニーズに対応

クラッチディスクとクラッチカバーを主力製品としている「山形クラッチ」にとって、クラッチを要しないオートマチック車が完全に主流となっている現状は深刻な問題です。こだわりがあってマニュアル車に乗り続けている人や貴重な動力としてエンジンを使い続けている人によってクラッチ需要が支えられているとはいえ、絶対数の減少は否めません。しかも、新車に及んでは最初からマニュアル車の設定自体がない車種も増えてきています。

こうした自動車業界の変化に対応すべく、「山形クラッチ」では、マニュアル車比率の高い国々を中心にクラッチシェアの拡大を図るべく、その生産拠点としてバンコクに子会社「タイ・エヌ・ケイ・ケイ・メタルカンパニーリミテッド」を設立。世界に目を向ければクルマの数は膨大で、パーセンテージとしては少なくなっているとはいってもてマニュアル車の台数もまだまだ膨大です。現在、1%程とみられている同社の世界シェアを数%上げるだけでもかなりの需要が見込めるという点に着目しています。

鍛造技術を生かして製造されている自動車部品
鍛造技術を生かして製造されている自動車部品

さまざまな製造ニーズに対応
切削、プレス、鍛造など、各種技術も設備も充実、さまざまな製造ニーズに対応

また、クラッチ製造で培った開発、設計、金型、プレス、熱処理などの技術とノウハウを生かして他の部品製造にも取り組みはじめています。近年、環境問題に対する意識の高まりや税制面での優遇措置等を受けて急増しているハイブリッド車、その部品加工も手掛けているほか、近隣工場の依頼を受けて、農機具や建設機械の部品製造も行っています。売上げ全体の9割をクラッチが占め、残り1割ほどがその他の部品。クラッチにこだわりながらも、新しいものづくりのタネまきにもしっかり取り組んでいるところです。

環境問題に配慮したクラッチ製造をめざす

世界におけるクラッチシェアの拡大を図るためには、より優れた性能のクラッチをより安価に提供していく必要があります。山形クラッチの開発・設計部門では、つねにクラッチ性能の向上に努め、トヨタ、ニッサン、マツダなどの純正品をベースにしながらもよりよい品質を実現しています。スムーズにつながる、乗り心地がいいといった走行性の向上に加えて、今後さらに強く求められるようになるのが環境性能ではないでしょうか。クラッチにいい摩擦材を使うことによってエンジンの回転を効率よく伝達できるようになれば燃費がよくなり、CO2の削減になります。

また、クラッチをコンパクトにすることでクルマの軽量化を促進し、ここでも燃費の軽減に貢献することができます。さらに、クラッチの耐久性が増せば増すほど、交換する回数が少なくなり、鉄などの天然資源の枯渇を防ぐことにもつながるわけです。山形クラッチの技術力はこれからも、自動車業界をはじめとする製造業全般の進化に際し、要所要所で大きな役割を担っていくことになるでしょう。

クラッチディスクとクラッチディスクの製造ライン
クラッチディスクとクラッチディスクの製造ライン
クラッチディスクとクラッチディスクの製造ライン
(2009/9/17取材)

山形クラッチ株式会社

山形クラッチ株式会社
山形クラッチは、1973年にアイシン精機株式会社と佐藤商事株式会社の出資により自動車用クラッチのOEMメーカーとして誕生。2009年からは出資比率の変更を受けてアイシン精機の子会社という位置づけになっている。日本車はもとよりアメリカ車や欧州車、アジアンカー等あらゆるクラッチを粗形材から完成品まで一貫生産。タイに子会社を展開し、ワールドマーケットの拠点を担っている。また、クラッチの製造プロセスで培った技術と設備を生かし、ハイブリッド車の部品加工や農業機械や建設機械などの部品製造も受注、時代の要請に対応している。
代表者:取締役社長 園田 史朗
設立:昭和48年2月
従業員数:117名
事業内容:自動車用クラッチカバー・ディスク、ブレーキディスクローターの
製造販売、熱間鍛造品、モールドベースの製造販売、熱処理受託
所在地:山形県鶴岡市下山添字庄南43
TEL:0235-57-2881
FAX:0235-57-4674
URL:http://www.y-clutch.co.jp/

Categories: 世界にはばたくメイドイン山形