和田弥寿子さん

伝統の味と、新しい味。
2本の柱を大切に
夫婦で追究し続ける酒造り。
和田酒造合資会社(河北町)

和田酒造は寛政9年創業、200年以上の歴史を誇る老舗造り酒屋。地元の米生産者と契約栽培し、杜氏や蔵人も地元の人々。すべて地元づくしで作られる、まさに地酒の中の地酒。娘の弥寿子さんは女性ならではの感性で新しいお酒を開発し注目を集めた。現在は、娘婿の茂樹さんが伝統を守りながらも新感覚の日本酒づくりにも挑戦し、さらに多彩なラインナップに。小さくても確かな存在感を放つ造り酒屋から目が離せない。

和田弥寿子さん

プロフィール
和田 弥寿子さん

 

昭和49年生まれ。
山形県河北町出身。
東京農工大学大学院卒業。
(独)酒類総合研究所での研修、山形県工業技術センター勤務を経て、2003年和田酒造合資会社勤務。2005年茂樹さんとの結婚を機に、酒造りではご主人の補佐に回り、現在に至る。

弥寿子さんが酒蔵を継ごうと決めたのはいつ頃?

一人っ子だったし、酒蔵と一体になっている自宅で暮らしていたので、幼い頃から酒造りがとても身近にあって、子どもの頃から何となく自分が跡を継ぐんだろうなと思っていたような気がします。大学で微生物の勉強をしているときには、ちょっと違う道に進みたいと考えたこともありましたが、やはり家業を大切にしたいという思いから父の跡を継ぐ決心をしました。

茂樹さんは沖縄出身だそうですね。

妻とは東京農工大学の同級生。学生時代から「あら玉」をよくごちそうになっていて、おいしいお酒だなと思っていました。大学院を出てから沖縄県庁、大阪大学医学部の研究室と徐々に北上して、結婚を機に山形にやって来ました。沖縄とは対照的な北国山形での暮らしに多少の不安は ありましたが、それ以上に酒造りに興味がありましたし、妻が酒造りの最前線で頑張っていたので心強かったです。

茂樹さんの具体的な仕事内容を教えてください。

私は、大学院で微生物の研究をしていたので、研究開発を中心に麹づくりや仕込みなど酒造り全般に携わっています。本格的に酒造りに携わるようになったのは結婚してからなのでこの冬で3回目です。杜氏や蔵人のみなさんを見て学んで、今回あたりからようやく少し余裕が出てきました。仕込みにはいると3カ月半ぐらいはほとんど休みがとれないし、夜中も2~3時間おきに起きて作業をしなければならないしで、冬場にやせて夏場に太るといったパターンでした。妻は娘が産まれたのを機に仕込みの仕事は私に任せて、研究開発や商品の発送業務などをしてくれています。仕込みの時にはいろいろ相談にのってもらったりもしています。

和田茂樹さん

プロフィール
和田 茂樹さん

 

昭和48年生まれ。
沖縄県出身。
東京農工大学大学院卒業。
沖縄県庁勤務、大阪大学医学部研究室勤務の後、2005年弥寿子さんと結婚。和田酒造合資会社で研究開発を担当、現在に至る。

ご主人に仕事を譲るのは寂しくありませんでしたか。

一年目はいっしょに酒造りをしたんですが、次の仕込みが始まるころにちょうど娘を出産したものですから、否応なく主人に任せるしかありませんでした。もちろん仕込みから離れる寂しさはありました。最初のころは、蔵に入りたい気持ちが強くて“私の方ができるのに~”ってかなりイライラピリピリ(笑)。でも、生まれて間もない娘には私しかいないと思うことで割り切ることができました。
2人で仕込みのことをいろいろ話し合ったりもしていますから。それに、重いものを持ったり、高いところに上ったり、女性にとっては体力的に厳しい作業も少なくないんです。私の時は父が代わりにやってくれたり、心配そうに見ていたりしていましたが、主人なら安心して任せられるのでよかったみたいです。
父と主人が楽しくいっしょに仕込みをしている様子は私を幸せな気分にさえしてくれます。

酒造りの大変さとだいご味とは?

一年を通していちばん忙しいのは寒い時期、お正月も休めません。麹づくりは私たちの都合なんて一切通りませんから。麹の状態に合わせて夜中に何度も起きて作業をしなければならない時もあります。酒造りは、本当に大変な仕事だと思います。でも、この大変さがお酒のおいしさにつながる、飲んだ人の笑顔につながると思うと大変じゃなくなってくるんです。主人は、初めて蔵に入って絞りたてのお酒を飲んだときにとても感動して、いつかはそのおいしさをそのままビンに詰めてお客さまのもとに届けたいと思っているみたいです。

蒸し米を放冷機で冷ます
蒸し米を放冷機で冷ます
大きな甑で蒸し上げられた米からはアツアツの湯気
大きな甑で蒸し上げられた米からはアツアツの湯気
和田茂樹さん・弥寿子さん

櫂入れ(もろみを均一に混ぜる作業)をする茂樹さん
櫂入れ(もろみを均一に混ぜる作業)をする茂樹さん
山形と沖縄、風土や地域性の違いで戸惑ったことは?

北と南でかなり食味が違いそうな気がしますが、学生時代からお互いに味覚が似ている人だなあと感じていました。食生活も意外に似ていたので味覚面での苦労はありませんでした。確かに、沖縄に帰ると泡盛が飲みたくなりますが、こっちではやっぱり日本酒がおいしいですね。戸惑ったことといえば、蔵人のみなさんの方言でしょうか。酒造りは時間との戦いでもあるので、皆さんかなりの早口。はじめのころは、方言なのか酒造りの専門用語なのかもわからなくて、後で妻に解説してもらっていました。

ベテランの杜氏や蔵人と意見が合わなかったりすることは?

私たちは大学で近代的な酒造りを学んできたので、数字とか計算に頼りがちですが、杜氏や蔵人のみなさんは長年の経験からいろんな判断をします。それが計算とピッタリ合っていたりするので感心させられることが多いですね。それに、みなさん酒造りの伝統を守りながらも、新しいことにも敏感で、私たちが何か新しい試みをしているととても興味を示してくれるんです。


今後、どんな酒蔵にしていきたいですか。

守るべき味はかたくなに守りながら、時代を反映させた酒造りにも取り組んでいく、そんな2本の柱で頑張っていきたいですね。今は、主人が中心となってスッキリとした発泡性のお酒に力を入れています。

取材に伺ったのが仕込みの忙しい時期だったこともあり、ご夫婦別々にインタビューさせていただくことに。同じような質問をすると、返ってくる答えは申し合わせたように同じで驚かされました。酒造りについても家庭のことについてもつねに2人でいろいろ話し合っているのでしょう。お互いに尊敬し合い、尊重し合っている、そんな理想の夫婦像に出会ったような気がしました。

和田酒造の商品一例。さくらんぼ酵母で作ったロゼ色の純米酒「さくらんぼの恋物語」とフルーティな純米吟醸「嚶鳴」は弥寿子さんらしい
和田酒造の商品一例。
さくらんぼ酵母で作ったロゼ色の純米酒「さくらんぼの恋物語」とフルーティな純米吟醸「嚶鳴」は弥寿子さんらしい

(2008/12/5取材)

和田酒造合資会社

和田酒造は、紅花の産地として知られる河北町にある寛政9年創業の造り酒屋。現在の社長・和田多聞氏で8代目。地元の人に認められてこそ、本当においしい酒造りができるという信念のもと、若手とベテランが力を合わせて丁寧に酒を造り続けている。

和田酒造合資会社
代表者:社長 和田多聞
創業:寛政9年(1797年)
従業員数:9名
事業内容:日本酒の醸造・販売
所在地:山形県河北町谷地甲17
TEL:0237-72-3105
FAX:0237-72-3598
URL:http://www.hinanet.ne.jp/~aratama/

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