江戸時代
霞城公園(山形城址)に建てられた最上義光像
霞城公園(山形城址)に建てられた最上義光像
上杉神社参道に建てられた上杉鷹山像
上杉神社参道に建てられた上杉鷹山像
山形県のものづくりの起源ともいうべき山形鋳物
山形県のものづくりの起源ともいうべき山形鋳物
山形打刃物のはじまりは約650年前(1350年頃)
山形打刃物のはじまりは約650年前(1350年頃)

江戸時代の初頭(1604年)、山形藩の初代藩主にあたる最上義光が山形城を改築。城下町を再編成した際に、鍛冶町を城北に、銅町を宮町の北端に移し、これらを職人町として諸役や人足を免除するなどの特権を与えました。この頃、藩主の庇護のもとに打刃物、鋳物、織物などの産業が盛んになります。 特に山形のものづくりの起源といわれる山形鋳物は武器や日用品、出羽三山信仰の宗教具などとあいまって大きな発展を遂げました。同時に酒、味噌、醤油などの醸造業も盛んになっていきます。

江戸時代中期になると、米沢藩主上杉鷹山は藩の殖産興業を目的に領内に桑の木を植栽、養蚕の奨励と絹織の保護に努めました。その結果、米沢織物が発展し、繊維工業は戦前まで本県工業の中核を担うこととなります。

江戸時代後期には米沢藩の庇護のもとに成島焼が、続いて山形に平清水焼が興り、その後新庄東山焼の開窯なども生まれ、鉢、茶碗、皿といった日用品を中心に焼物が広まっていきました。


年表

1604(慶長9)年 最上義光、城下の再編成を行う
1615(元和元)年 庄司清吉、足踏たたらを導入
1633(寛永10)年 鎖国政策の開始
1640(寛永17)年~ 舟運の時代の到来 最上川舟運、西廻り海運の拠点として酒田港が賑わう
1767(明和4)年 上杉鷹山、米沢藩主となる
1780(安永9)年 米沢成島焼開窯
1788(天明8)年 平清水焼開窯
1841(天保11)年 新庄東山焼開窯
1853(安政5)年 ペリー、浦賀に来航

用語解説

庄司清吉(しょうじせいきち)

最上義光の治世に銅町で活躍した鋳物職人「銅町九人衆」の一人。下野国佐野や京都などの先進地を視察して帰り、足踏式の送風装置であるたたらを1615(元和元)年に考案した。これにより当時は仏具や日用品の小物の製作にとどまっていた鋳造技術が大きく進歩、梵鐘や灯籠など大物の鋳造も可能となり、山形鋳物の発展に大きく貢献した。


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