山形県米沢市出身。
山形県立米沢商業高等学校卒業。
2014年アルス株式会社入社。
主に木製サッシの組立・仕上げ工程を担当。
「我が家は四代続く小さな工務店でした。資金も何もないところからスタートした会社です」。
山形市に本社を構える株式会社シェルターの木村一義代表取締役は、アメリカ留学後、24歳の時に前身となる「シェルターホーム株式会社」を寒河江市に設立。それから40年余が経った今では、東京・宮城に支店を持つまでになっています。
「設立して数年は大変でした。ちょうど住宅業界が大不況を迎え、家が売れない時代でもあったので、なおさらです。しかし、始めから順調にいくよりも、失敗や苦労をひと通り経験したことで『このままでは終わらない』というガッツを持ち続けられたと思っています」。
株式会社シェルターが独自に開発・実用化した「KES®構法」は、柱と梁の接合部分に金物を用いた工法。木造建築の弱点と言われていた接合部分を金物で補強し、驚異的な強度を実現しました。
従来よりも強度のある木造建築。それが証明されたのは、1995年の阪神・淡路大震災でした。被害の大きかった神戸市灘区に建築した3階建ての一般住宅は、周囲の住宅が倒壊する中でその姿を変えず、メディアで紹介されるなど一気に注目を浴びることとなりました。その後の大きな災害でも住む人の命と財産を守り抜き、2001年に建築した岩手県浄法寺町新庁舎を皮切りに、大型施設でも数々の建築物を世に出しています。
「2時間耐火認定は2014年に取得しましたが、3時間の耐火はまったくの別次元で、我々も未知の領域でした。研究には時間を要しましたが、致命的な失敗はありませんでした。考え方や構造の基本が間違っていないからでしょう」(木村社長)。この耐火技術は、一般社団法人木造耐火建築協会(会長 木村一義)を通じて全国に広くオープン化しており、現在約270団体の会員が所属しています。
また、三次元設計・加工技術による「FREE WOOD™」は、木材を「曲げる」「切り出す」「削り出す」ことで実現させた美しいフォルムの部材です。曲線やひねりで表現されたその姿は、木材の持つ安らぎと、芸術性の高い美しさを兼ね備えています。
これら最先端の木質構造技術で生み出される建築物は、見る人に感動を与える外観と安心して過ごせる強度が魅力。一般住宅だけでなく、公共施設などの大型建築にも用いられ、好評を得ています。
木村社長が木造建築にこだわる理由のひとつが、「環境への配慮」。地球規模で気候が劇変する中、低炭素社会を築くためにも、木を使った建築はこれから増やすべきという信念が、これまでの研究・開発を支えてきました。
「木は唯一再生可能な資源であるだけでなく、空気中の二酸化炭素を吸収・固定化し、建物を建てる際、最も環境への負荷が小さい資材です。
さらに、ストレスフルな社会の中で、木の空間による癒し効果も期待できます。木造建築はこれまで、性能や法律上の制約に可能性を阻まれてきましたが、これからは鉄骨とのハイブリッド造なども視野に入れ、木造建築による木造都市を作ることを目標にしていきます」。
24歳の時に掲げた基本理念「何が正しいかを考える」を、40年経った今も貫き通す株式会社シェルター。「正しい」の意味は、企業としてではなく、人として。客観的に、冷静に見極め、進む道を選択し続けてきました。木造建築を未来の形へと進化させてきた研究とその成果は、これからの建築界をさらに変えようとしています。
株式会社シェルター
高校を卒業後、普通の企業に就職。自分の手で『もの』を作る仕事に憧れがありました。本当はそういう職業に就きたいと思っていました。工業系の学校には進まずに一度は諦めた夢。小さいころから木で何かを造る工作・木工が好きでした。約3年半前にこの会社のことを知り、迷わず入社を希望しました。
主に木製サッシの組立・仕上げ工程を担当。
木製サッシ製造における最終仕上げと、組み立ての工程を担当しています。段階を踏んで上がってくる製品のパーツを組み立て、ガラスを入れ出荷となる工程です。
一本の木材がそれぞれの工程を経て住宅や建物に組み込まれるわけですが、完成した形を目にした時にはやりがいを感じますね。また、サッシの設置後に購入されたお客様から、お礼のメールが来たことを聞くと「頑張ってよかったな。」と思います。
仕事を始めて、思ったより自分に体力がないことに気付きました。ですから体調には気を遣いますね。残業が続きやすい仕事なので、どうしても寝不足になったり、食事が不規則になってしまいがちですし。でもだからこそ、今まで以上に自分の体をいたわるようになりました。体調の自己管理は本当に大事なことで、これはどんな仕事にも必要不可欠なものだと思います。そこで、できるだけ効率よく仕事が進められるよう実践しているのが、毎朝、その日の作業スケジュールを書き出してから仕事をはじめること。ごくごく当たり前のことなんですが、これをするとしないとでは、動きが全く違ってきますし、スムーズに作業が進めば、残業時間も減って、朝もきちんと起きることができる。そういう当たり前なことを当たり前にできるって、実はとても大切なことなんじゃないかと思います。
製作工程で使用しているドイツ製の金物には日本語での説明書きなどは無く、図面を見ながら組み立てる必要があります。馴れるまでは大変でした。また、この仕事は職人の仕事です。先輩達の仕事を見て覚えることが大事。わからない事があれば聞いて覚える。先輩たちは優しく教えていただけます。先輩たちには本当に感謝しています。「よく、やってくれている。」と高橋社長。
先日、ベテラン職人の方が定年で退職されました。その抜けた穴を自分が埋められるように頑張ることです。自分にも後輩が出来、今度は自分が教える立場になりました。自分も覚えなければならないことがまだまだ沢山あります。納期までのスケジュールなどを考えうまくバランスをとりながらやっていくことが目標です。
アルス株式会社
代表者:代表取締役 高橋 光雄
創業:昭和32年12月 設立・平成5年6月
従業員数:13名(平成28年4月現在)
事業内容:木製サッシ・木製ドア製造販売
所在地:山形県米沢市大字笹野1513-4
TEL:0238-38-4027
FAX:0238-38-4028
URL:http://yumemado.com
朝日相扶製作所は、発注元企業のブランドで販売される製品を製造するOEMメーカー。椅子やソファを中心にとした木工家具を製造しています。農村の出稼ぎを減らすために雇用を生み出そうと事務椅子の座面の布の縫製工場として創業したのが1970年。「相互扶助」から命名されたという社名には、創業時の思いが込められており、四十数年の時を経ても従業員のほとんどは、町内および近隣市町の人々だといいます。
昭和40年代のオイルショックを機に進出した木工家具の製造で実績を上げ、椅子だけでも1,500 種類、トータル5,000アイテムもの木製家具を各ブランドのオリジナリティー、こだわりに合わせて1台から受注、製造。各社からの多種多様な要望に応えていく中で磨き抜かれた技術力は、他の追随を許さない卓越したものになっていきました。オリジナルブランドを持たず、営業・販売ルートも持たず、ものづくりに徹することで「NAMELESS-BRAND(名を秘したブランド)」という市場になくてはならない独自のブランドネームを手に入れたのです。
OEMメーカーですから、朝日相扶のネームはどこにも記されていませんが、みなさんが今座っているその椅子ももしかしたらメイド・イン朝日相扶製作所かもしれません。それくらい多様な相手先ブランドの信頼を得て、そのブランド名を名乗ることを許された家具を世に送り出しているのです。
朝日相扶製作所の最大の強みは多品種少量短納期体制。最少ロットは1台から、そして最短納期は4日、しかも、必要な時に、必要な場所へ、必要な質と量を届けるジャストインタイムシステムで得意先企業の在庫の無駄をなくし、エンドユーザーへの直接納入により二次配送費用をなくすこともできます。この迅速かつ柔軟な受注体制により多くの家具メーカーの支持と信頼を集めて、気がつけば得意先企業は80社を数えるまでになっていました。その中には、誰もが知っているヨーロッパの有名ブランドもあります。確かな技術力が認められ、日本国内で販売されるそれらブランド家具の製造を任されているのです。
多種多様を極める得意先ニーズへの対応を可能にしているのが、熟練の技術スタッフであり、NCマシン(数値制御工作機械)です。従来、NCマシンは大量生産用に使用されますが、ここでは緻密なプログラミングにより職人技を要するような高度な製品づくりにも活用しています。職人技ではどうしても出てしまう微妙な誤差がNCマシンでは一切生じません。5,000種類ものアイテムをデータとしてストックできるのもコンピュータならでは。逆に、一時は機械で行っていた塗装を現在は手作業で行っています。ひとつひとつ木目や色合いが違う天然木は、機械で均一に塗装してしまうと仕上がりにばらつきが出てしまうため人の目で確かめながら塗り方を加減する必要があるからです。
こうしたものづくりへの真摯な取り組みが欧州家具ブランドの目に止まり、2009年からデンマークのワンコレクション社への輸出を開始しました。さらに、2012年にはそのワンコレクション社からの発注でニューヨーク国連本部ビル信託統治理事会会議場に椅子260脚を納入。NAMELESS-BRANDとしての誇りと責任を持ち、世界一の黒子を目指してきた朝日相扶製作所が一躍、表舞台に躍り出た瞬間です。
「このことで『いつかは、エルメスの家具を手掛けたい』と掲げてきた目標が現実味を帯びたような気がします」と素直に喜びを表現する阿部佳孝社長。これを機に朝日相扶製作所の存在が国内外で知られるようになり、注文や就職希望の問い合わせが寄せられるなど、さまざまな反響があったようです。しかし、会社の名前が表に出る、出ないにかかわらず、求められる質と量の家具づくりに誠心誠意取り組む姿勢は少しも変わっていません。
株式会社 朝日相扶製作所
山形県中部にある白鷹町、人口約14,300人の町内の山間の集落にその工房はありました。『板締絣染め』という技法(全国でも珍しく町内でも2軒のみ)で絣染めを行う小松織物工房。その卓越した技術は経済産業大臣指定の伝統工芸とされています。小松織物工房の起源、それは糸の染屋。昔は織りの工程を農閑期の農家に依頼していたそうです。当時の農家には、現在の小松織物工房にあるような機織機を持っている家庭が多くありました。
時代が移り変わり、今では染めから織りまでの工程をこの工房で行っています。正式な文献などは残っていませんが、明治13年に創業されたとされる小松織工房では、約130年以上にわたり独特の技法を受け継いでいます。
今では希少になっている技法である糸の『板締絣染め』。「何年やっていても細心の注意と集中力を必要とする作業です。」と小松さん。
『板締絣染め』とは、予め溝が彫り込んである絣板の間に糸を挟み込み幾重にも絣板を重ね、その絣板を押木とボルトで締め付け、染料をかけて染色を行う手法。使用する絣板の溝には模様が刻まれており、重ねると接触面の溝から模様が浮かび上がります。絣板で挟み込んだ糸一本一本の張りが均一でないと思い描いた模様が出ず、本来白地になるところに色が入ってしまう場合があり、それはもう製品には使えません。
小松さんは、「絣板を外す最後まで染めが成功しているか分からない」と話します。もちろん、染め上がりに問題があると織りには使えません。
『白鷹紬』は白鷹町の織物を総称した名称です。その白鷹紬に属し、小松織物工房の主力商品が商標登録されている『白たかお召』(しらたかおめし)です。
その特徴は、板締絣染めで染め上げた『かすり』の模様と、お召本来の独特な風合いだといいます。
糸1mあたりの撚りは通常、200回程度が一般的。小松織物工房で使用しているお召糸ではその10倍の2,000回の撚りをかけています。これをノリで固めたうえで織りの工程を行います。お召糸は反物の横糸の半分を占め、残りの半分を板締めで染めたかすり糸が反物を織りあげていきます。織る時の幅は約46cmありますが、湯通しする事でノリが剥がれ、撚りが戻ると約30cmまで縮みます。そこから『幅だし』という工程を行うことで約39cmの並幅と言われるサイズに。この状態になると織物の表面に鬼皺(おにしぼ)と呼ばれる『皺』がたちこれが『白たかお召』の特徴となります。生地自体が縮んでいる状態なので、しわになりにくいという利点と、縮むことで肌に接する面積が減ることで風合いを楽しめ着心地が良い生地に。「この着心地が最大の武器であり、多くのお客様に認めていただいた白鷹の織物です。」と小松さん。
他の産地にもこのような商品はありますが、違いは糸の太さと織機で使用している筬(おさ)の密度とバランス。糸と筬(おさ)の密度とバランスが『白たかお召』の風合いを出すといいます。
「同じものを大量に作るものづくりより、『お客様からの注文や要望には応えられるものづくり』、『お客様の期待を裏切らないものづくり』を心掛けていきたい。」
『板締絣』にこだわりを持っている小松さんですが、こだわりは全ての工程に及びます。
「『糸の準備』『染め』『織り』に至る全てのこだわりが『白たかお召』です。」と語る小松さん。
「次の担い手を考えたとき正直、不安要素しかありません」と話す小松さん。その不安要素をお聞きすると、原料の問題、各工程の職人の問題だといいます。染料の入手先、織機で機を織る織り手、『板締絣染め』で使用する絣板を彫る職人など。一番の問題は良質なシルクの確保。国内外における良質なシルクの確保が難しくなると想定しているそうです。
「現在携わっている職人さんも年々高齢化しており、若い人が飛び込める環境ではないかもしれません。
今後は今までの伝統ある技法をだけでなく、ソフト面で新しいものづくりを提案し新たな伝統を切り開いていきたい。色々な分野で活躍されている職人さんとも『関わり』を持ち、日本のものづくりの底上げにも貢献出来ればと思っております。」
小松織物工房
山形県指定無形文化財『本場米琉(白鷹板締小絣)』の技法で『白たかお召・紬・上布折元』を製作。糸の仕入れから染色・織りまでの全ての工程を一貫して行う。現在では全国的にみても希少な技法を用いる。9名の職人さん(織り子さん)を抱え出機(だしばた)という形式で織りを行う場を提供。織り以外は家族で製作に携わる。繊細な染めと織りの技法を継承し続けている。
高校生の頃からグラフィックデザインに興味があったんですが、大学では建築デザインを専攻。 卒業、そして就職となったときに、やはりグラフィックデザインへの思いが再燃し、仙台の専門学校に入り直してグラフィックデザインやコンピューターグラフィックの勉強をしました。
地元山形の印刷会社やデザイン会社への就職を希望していたところ、縁あって進和ラベル印刷に採用していただきました。ラベルやシールに特化した印刷会社ということで当初は少し戸惑いもあったんですが、私たちが日常的に目にしているラベルやシールの多さに改めて気がつき、興味が湧いてきました。
具体的な仕事内容を教えてください。
営業部のスタッフからお客様の要望や商品のコンセプトの説明を受け、制作デザイン室で打ち合わせを行い、イメージを膨らませてコンピューターでデザインを起こします。今のところ庄内支社の制作担当は私一人なので打ち合わせの相手はもっぱら担当営業です。場合によっては担当営業と一緒に出向いて、お客様と直接打ち合わせをさせていただくこともあります。デザインが決まったらラベル原紙に印刷してサンプルを作製。ラベルやシールは、チラシやポスターといった他の媒体と違って、単独で使用されることはありません。必ず商品のパッケージやケース、ボトルなど、何かに貼り付けられて初めて完結する製品なので、より仕上がりをイメージしやすい状態にしてプレゼンテーションを行うわけです。デザイン、色、形状、ラベル素材など、お客様にご納得いただいた上で印刷に回します。仕上がりの色や質感など、印刷担当者との打ち合わせ、調整も重要な仕事です。
また、最近ではラベルデザインから派生してパッケージやPOP、ポスターのデザインなどを提案させていただくケースも増えてきています。商品としての統一感は重要ですからね。残念ながらラベル・ シール以外の印刷は他社さんにお願いすることになるんですが、デザイナーとしては非常にやりがいを感じます。
“大変だ”という言葉には苦労話で終わるようなニュアンスがあってあまり好きではないので、がんばってクリアするという意味合いを込めて”難しい”という表現に置き換えさせてもらいますね。デザインには正解がないので、こだわり始めるときりがないという難しさがあります。また、何度デザインを提案してもあと一歩のところでお客様に納得いただけないときも難しさを感じます。全然ダメであれば方向性を変えればいいのでむしろラクなんです。微妙に違うと言われてしまうともう堂々めぐり。
あるお酒のビンのラベルデザインのときには10回以上も校正を繰り返しました。でも、その甲斐あって最終的にはとても喜んでもらえて、そのビンを入れる化粧箱のデザインを追加で依頼されました。つまり、難しい仕事ほどおもしろいし、難しい仕事だからこそいいものが出来たときの喜びも大きいということなんでしょうね。
進和ラベル印刷は、とても話しやすい環境なので部署を超えていろんな人に仕事のやり方を教えてもらっています。特に、製造本部長や工場長にはさまざまなカタチでお世話になっています。例えば、自分でデザインしていると入り込み過ぎてしまって一般的な感覚を忘れてしまいがちなんですが 、そんな時、デザイン視点ではない素直な目で見てアドバイスをしてくれるのがお二人です。
デザインについて言えば、私が入社した頃は、事情により先輩デザイナーが退職されたために充分な指導を受けることができませんでした。専門学校で習ったことを精一杯生かしながら独自に学んでいった感じですね。ですから、後輩たちにはそんな苦労をさせたくないと思っているので、私もまだまだ未熟ではありますが、これまでの経験で得たものは後輩たちに伝えていきたいと思っています。
私は血液型がO型、だからかどうかはわかりませんが、こだわりが強く、突きつめる性格なんです。あまり顔には出しませんが、かなり負けず嫌いなところもあって、それがデザインを追究する上ではプラスに作用しているのかなとは思っています。さっきも言ったように、デザインには正解がないのでディテールまでこだわりすぎて一つの仕事に時間がかかってしまうという難点もありましたが 、最近では程よく対応できるようになりました。それと、旅先でもお土産売り場を見て回るのが好きで、さまざまなラベルやパッケージをワクワクしながら見て楽しんでいます。好きでやっていることが仕事に役立つというのも自分に合っていると思えるポイントの一つですね。
以前、商品のネーミングから任せてもらった仕事がすごく楽しかったので、今後は、できれば商品開発の段階から参加してみたいですね。ラベルやシールにとどまらず、パッケージやポスター、POPやのぼりなどのデザインまで、一つの商品の販売促進にトータルで関わってみたいと思っています。そして、庄内支社勤務4年目、庄内地方の土地柄や人柄も肌で感じてようやくわかってきたので 、お客様の求める”庄内らしさ”を自然に表現できるようになりたいですね。
これから社会に飛び立つ学生たちにメッセージをお願いします。
みなさん、今のうちにたくさん遊んでください。自分で言うのもなんですが、私はとてもまじめな学生で、勉強以外あまり主立った活動をしてきませんでした。今はそれを少し後悔しています。時間がたっぷりある学生時代にもっと旅行をしたり、アルバイトをしたり、いろんな経験を積んでおけ ば良かったと。それらは必ず仕事に就いたあとで役に立ちます。直接的に目に見えるカタチでではないかもしれませんが、何らかのカタチで結びついたり、ヒントになったりするはずです。
仕事では想定外のことが起こって当たり前、そんな時、いろんな経験が蓄積された人ほど臨機応変に対応できるに違いありません。自分の進みたい道とは関係ないと、よけて通らないで好奇心旺盛にいろんなことに一度は首を突っ込んでみてください。
ご自身でもおっしゃっていた通り、とてもまじめな人柄が伝わってくる真摯な受け答えの佐藤さん。インタビューの冒頭、「自然の風景や絵画など、とにかくきれいなものを見るのが好きなんです 」と目を輝かせていたのが印象的でした。佐藤さんがデザインされたラベルは確かに”きれい”が際立っています。
進和ラベル印刷株式会社
代表者:代表取締役社長 晋道 純一
創立:昭和62年4月
従業員数:59名
事業内容:ラベルおよびシール専門の印刷業
所在地:山形県上山市蔵王の森10番地
TEL:023-672-7577
FAX:023-673-2019
URL:https://shinwalabel.co.jp/
産業用ポンプや半導体露光装置等の精密部品などの製造をおこなう株式会社ニクニ(本社:神奈川県)は、70年の歴史を持つ老舗企業。「株式会社ニクニアサヒ」は、企業誘致により、1973年に株式会社ニクニの生産拠点として朝日町に創設され、以来45年間、ポンプ製造の技術をこの地で培ってきました。
ニクニのポンプは、水処理などの施設だけでなく、工業製品、食品、医薬品の製造プラント、さらには温泉や健康ランドなど、幅広い分野で使用されています。水流をつかさどるポンプは、外側からは見えずとも、それがなくては正常に動かすことができない「心臓」とも言える部分。必要な量を正確に、必要な配分で吸い込み送り出し、各設備の中で特に重要な役割を担っています。
ニクニアサヒの特長は、高品質なポンプの多品種・小ロット生産が可能なことです。工業や産業の設備に組み込まれるポンプは、性能や仕様が用途に応じて異なることが多く、発注先のニーズに応じて忠実にカスタマイズする技術が必要。オートクチュールのポンプ製造に、熟練の技が光ります。
創設当初から在籍するベテラン技術者から若手社員まで、109名で営む工場では、マイクロ単位での綿密な製造が展開されています。その精度は、従来のポンプの常識を超えるとまで言われるほどの高い技術です。さらに、部品加工から組み立て、出荷までの工程をすべて敷地内でおこなうことにより、高品質を維持し高い評価を得ています。
創設時は第1工場のみだった社屋は、工場の増築を繰り返しながら事業拡大を重ね、2012年には第6工場を開設するまでになりました。第6工場では、大型ポンプを製造する部門を新設しました。さらに、中小企業庁の「革新的ものづくり・商業・サービス開発支援補助金」などを活用して設備を整え、時代の流れとともにニーズが増加した大型真空ポンプの製造にも新たに着手しました。現在では、敷地内に連なる工場の各部門で、あらゆるタイプのポンプの製造をおこなっています。
加えて、ニクニグループとして海外への進出も精力的に展開しています。2014年にアメリカに販売拠点を設置し、今年は台湾にも販売・調達拠点を設置しました。
森大(まさる)代表取締役社長は、「朝日町で製造されたポンプは、世界中で様々な製品に使われています。このことの認知度を高めてゆくためにニクニアサヒブランドを朝日町から世界に発信し、私たちが作っている製品が世界中でさらに役立つようになることを、これからも目指していきます」と話します。
大型の機械を使った作業から細部を調整する手作業まで、ポンプ製造の工程はさまざまです。機械でできる部分もある一方、精度を上げるための繊細な部分は、手作業で削る加工などが必要です。ステンレスの加工や切削が一定ではない「断続加工」は、受注を嫌う業者もいるほど高度な技術を要します。そういった加工も難なくこなすベテラン技術者たちがニクニアサヒを支えてきました。
後藤吉範取締役(製造部長)は、「長い年月の間に知らず知らずのうちに蓄積されたノウハウがあるのだと思います。ちょうど団塊の世代が定年を迎える時期に差し掛かっているので、後継者育成に重点を置き、熟練の技を少しでも若い世代に伝えるために、教育に力を入れています。若い社員を採用していくことはもちろん、今年からは、自分の受け持つ部門だけでなく工場全体を見渡せる広い視野を獲得してもらうべく、流動的に配置換えをおこなっています」。
また、次世代へ技術を伝えるため、ベテラン技術者の技をビデオ撮影した映像を利用して標準書作成や作業分析をおこなう取り組みなども始めています。
ニクニアサヒが掲げる「NIKUNI way」は、全社員で共有する企業のVisionと Mission。「ビジネス環境が変化しても、常に利益を出せる企業を目指す」Visionと、「品質の安定した製品をより安く、納期通りに生産出荷し、ニクニ商品の信頼と販売促進に寄与する」というMissionです。
社内では、「トップダウンよりボトムアップ」という方針に基づき、より仕事のしやすい環境への整備を進めてきました。最近では原点に立ち返り、「5S」強化活動も展開しています。
作業工程の動線に沿った作業場所の配置や製品チェック方法の見直しなど、作業する社員の目線と意識を考慮した改善は、小規模でも即効性のあるものばかりです。「5S活動のさらなる強化は、生産性や品質の向上、コストダウン、リードタイム削減を実現させるために必要なこと」と、森大代表取締役は話します。良いと思うことを柔軟に取り入れ、改善を怠らないという意識が、企業を常に進化させているのかもしれません。
「今までは『メーカーとして出荷する』までの仕事が多かったのですが、これからはサービスを重視することが大切と考えています。私達が作る製品がどのように使われるかをイメージして仕事ができるように、外に出てお客様の声を聴く機会を増やすことも検討しています」(森大代表取締役社長)。
小さな製品から大型設備まで、多種多様な機械に組み込まれ、国内外で活躍するメイドイン朝日町のポンプたち。森大代表取締役社長が率いる「NIKUNI way」のチャレンジは、これからが本番です。
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株式会社ニクニアサヒ
地元庄内の酒田市出身で、畜産関係の勉強をするために一度は東京に出たものの、離れてみて地元の良さを再認識し、長男ということもあって就職は庄内でと帰ってきました。専門分野は違っても大学で身につけた研究の基礎を生かせる商品開発の仕事ができるということで迷わず「マルハチ」への入社を希望しました。小さい頃からずっと漬物が好きでしたから、その研究開発に携われることがうれしくて仕方なかったですね。しかも、自分がずっと好んで食べていた漬物がこの会社の商品だったということが後でわかって、嬉しい気持ちが倍増しました。
高校卒業後に一度上京し、帰郷後の1992年に株式会社マルハチ入社。
以来20余年、研究開発部門一筋、数々の新商品を世に送り出している。
「伝統的な保存食である漬物の研究開発って何をするんだろう?」と疑問に思われる方も多いと思いますが、実は漬物も日々進化し続けているんです。
特に、私たち「マルハチ」が製造・販売している浅漬けは、素材本来の色やおいしさを如何に引き出し、長持ちさせるかが命、野菜の品種改良や漬け液の調合など、開発テーマには事欠きません。
入社当初から研究開発部に配属されて20余年、さまざまな開発プロジェクトに参加してきました。代表的なところでは、茄子の紫色とヘタ下のクリーム色のコントラストをきれいに出すための色止め技術や「茄子漬けの漬け液が透明ならもっとおいしく見えるのに」というお客様の声から挑戦が始まった漬け液の透明化など、今では浅漬けの定番となっている商品の開発には2~3年の歳月が費やされているものもあります。
現在、研究開発室のスタッフは7名。各自が開発テーマを設定し、日々実験や試作、データ解析等を行うという主体性を重んじた研究開発スタイル。課長職にある私は、部下たちの研究へのアドバイスやフォローに回ることが多くなってきています。また、スーパーに足繁く通って売り場担当者の声に耳を傾けたり、他社の商品を試食したり、顧客や市場のニーズを肌で感じることも重要な仕事のひとつです。
この仕事をやっていてよかったと感じるのはどんな時ですか?
自分の大好きな漬物を研究テーマとしてその可能性を広げていくのはとても楽しい仕事です。商品の賞味期限を長持ちさせたり、キュウリや葉物の緑をより鮮やかに出したり、自分の手掛けた新商品が売り場に並んでいるのを目にすると開発時の苦労が報われた気がします。その売れ行きが好調だったりすればなおのこと。以前、スーパーの売り場担当者から「お客様から”おいしい”という電話がありましたよ」という連絡をもらったことがあったんですが、その時は本当にうれしかったですね。
何度も会議を重ねて、次はこういう新商品を売り出そうという方針が決定し、そこからが我々研究開発部の本格的な出番となるわけですが、時にはかなりの無理難題を突き付けられることもあります。そうなると寝ても覚めても頭の中は実験中。夢の中でひらめいたアイデアを翌日実践してみたら成功したということもありました。新たな技術を確立するためには幾つもの壁を乗り越えなければならないわけで、その突破口を見つけるために試行錯誤している時はさすがにきついですね。
特に指導・影響を受けた上司や先輩は?
私が入社した当時、研究開発部長だった現・社長からの教えが大きいですね。
“まず、やってみる””まず、動く”、そして、成功するまであきらめないという研究開発に臨む姿勢を学びました。おかげで、失敗はありません。成功するまでチャレンジを続けさせてもらえるからです。研究室で試行錯誤の実験や分析を繰り返す日々ですが、研究室に閉じこもってばかりいるわけではありません。スーパーや小売店にリサーチに行ったり、セミナーや食品展示会などに出席したり、自由な発想・手法で研究開発に取り組める環境を与えてもらっていることにも感謝しています。
もちろん、漬物が好きだということが第一ですね。それに加えて、いろいろやって試してみることが好きな気質は研究者向きなのかなと思っています。これまで自分が研究を通じて得てきた経験値を生かして若い研究者たちにアドバイスをしたり、いっしょに新しい方法を模索したり、そんな今のポジションもなかなかやりがいがあります。みんな漬物が好きで入社してきた人たちですから、とても熱心に研究に取り組んでいます。
健康志向の現代、漬物は塩分が多い食品というイメージがあって敬遠されがちですが、当社の浅漬けなどは、塩分わずか2%前後で他の加工食品よりむしろ少ないくらいです。質のよい新鮮な野菜を原料にすることで、素材の味が引き立ち、少ない塩分でもしっかりした味わいに仕上げることができます。ビタミンCも豊富で、空気や水分を多く含む生野菜より少ない量でたくさんの栄養分を摂取することができるんです。ヘルシーと思われがちなサラダもドレッシングで高カロリーになってしまったり、野菜本来のおいしさが味わえなかったりとデメリットもありますが、その点、浅漬けならそのままおいしくヘルシーに食べていただけます。
今までもいくつかのヒット商品の開発プロジェクトに参加してきましたが、これからもそれに負けないくらいの大ヒット商品を作りたいですね。特に、今はナガイモやオクラといったネバネバ系野菜に注目しています。幸い、当社では50年以上前から農家の方々と契約栽培を行っているので、漬物をよりおいしくするための品種改良に協力してもらうことも市場に出回っていない野菜を入手することもできるのです。このアドバンテージを生かして、私たちにしかできないおいしい浅漬けを食卓にお届けし続けたいと思っています。
これから仕事に就く若者たちにメッセージをお願いします。
仕事に就いたら、そこでしか学べないことを身につける勉強の日々、学校を卒業したから勉強は終わりと思ったら大間違いです。そして、”できない”と言わないこと。できないことをできるようにするのが仕事。夢にまで見るほど悩み、悩み抜くこと、あきらめなければいつかは成功します。まずは、目の前の仕事を一生懸命こなすことからはじめましょう。
穏やかで謙虚な話しぶりながら、漬物の技術に関する話になると表情は一変、「うちの商品を真似しようとしても同じものはできません」ときっぱりと自信を口にする佐藤さん。本当に漬物が好きで、本当に会社を誇りに思っている、そんなまっすぐな思いが伝わってくる清々しいインタビューでした。
株式会社マルハチ
代表者:代表取締役 阿部 敏明
創立:大正3年3月
従業員数:188名
事業内容:農林水産物の加工及び販売
所在地:山形県東田川郡庄内町廿六木字五反田75番地の1
TEL:0234-43-3331
FAX:0234-43-4441
URL:http://maruhachi.n-da.jp/